柳田国男 こども風土記

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 鹿遊び
 
 
 鹿・鹿・角・何本の遊びが、近江おうみと筑後の二ヵ所にあったということを、物珍しそうに書いておいたところが、たちまち全国から百七十何通の手紙が来て、自分の土地にもあると告げられたのにはびっくりした。この御礼の方法は別に考えなければならぬが、とにかく大要をここに載せて、読者におことわりをする義理が私にはある。
 この遊戯が近ごろまで行なわれていたのはだいたいに九州と四国、ことに福岡と愛媛の二県は、各郡市残らずというほどに分布しているが、東の方も千葉県の東海岸、越後えちご佐渡さどにまで及んでいた。報告のなかったのは奥羽おうう六県と富山以西の日本海側の諸県および長野・岐阜の中部二県だけで、近畿・東海にもぽつぽつとあるが、やはり瀬戸内海のまわりが多い。百七十何通といっても、同じ土地から幾人もの知らせがあったのだから、総数にして二十四の市と五十五の郡と、五つの島との計八十四ヵ所に、現在もなお行なわれ、またつい近年まで確かに行なわれていたのである。報告者はいろいろの年齢の人で、いずれも十年・二十年の前に自分が携わっていた記憶をび起してなつかしいと言っておられる。若いおかあ様たちを読者に予期していたのだが、こういう意外な人までが見ておられたのである。なるほど新聞はよいものだなと、改めてまた経験したことであった。
 そんな話よりも、遊戯のどう変って来たかということを、あらましだけでも述べておかねばならぬ。このごろの鹿遊びは、いったいに男のの荒々しい運動となり、女が参加することはできぬようになっている。一人がうつむいて馬になることは外国のも同じだが、遠くから走ってきて木馬もくばのように飛び乗り、足が地についたり、乗りそこねたりするのを負けとしている所さえある。それでいて例の鹿々何本を、まだ掛声かけごえのようにとなえているのだから、考えてみると子どもは面白い。伊予などでは胴乗りと称して、幾人もの子どもが帯をつかまえてつながり、長い馬になって組を分けて乗りっくらをしているのもあるが、やはりまだ鹿何ちょうなどと、数を当てさせる言葉を使っている。そうして他の多くの例では、依然として当てられた児が次の馬になる遊びなのである。
        
 
         
〔つづく〕
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