柳田国男 こども風土記

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 おもちゃの起り
 
 
 玩具おもちゃを面白がって集める成人が多くなった割には、古いことがまだ一向わかっておらぬが、近年ブリキ・セルロイドが目まぐるしく新を競うようになるまでは、われわれのおもちゃは不思議なほど種類が限られていて、どうやらその一つ一つから根原こんげんを尋ねて行かれるらしく思われる。だいたいに、以前の玩具はほぼ三通りに分けることができたようである。最も数多いのは子どもの自製、拾ってすぐてる草の実やどんぐりのようなものから苗株なえかぶあねごとか、かきの葉人形とかの、うまくできたらなるだけながく大事にしてしまっておこうとするものまで、親も知らないうちに自然に調ととのえられる遊び道具、これを子どもは「おもちゃ」というものの中に入れていない。
 オモチャという語のもとは、東京では知らぬ者が多くなったが、今も関西でいうモチヤソビの語にオをつけたものにちがいない。そのもてあそび物を土地によっては、テムズリともワルサモノともいって、これだけは実は母や姉の喜ばぬ玩具であった。もっとも普通に使われるのは物さしとかへらの類、時としてははさみや針などまで持ち出すがあって、あぶないばかりか、無くしたり損じたりするので、どこの家でもそれを警戒した。そうしておいおいとその代りになるものを、こしらえて可愛かわいい子には与えたのだが、最初はそれもただ親たちの実用品のやや小形のもの、たとえば小さなかごとかおけとか、ほうきや農具のたぐいが多く、子どももまた成人と同格になったと思ってそれを喜んでいたようである。
 それから第三には、買うて与える玩具、これが現今の玩具流行のもとで、形には奇抜なものが多く、小児の想像力を養うには十分であったが、如何いかんせん、そういう喜びを味わう折が以前はきわめて少なかったのである。おみやげという言葉でもわかるように、本来は物詣ものまいりの帰りに求めてくるのが主であって、したがってその種類も限られており、だいたいにお祭に伴なうものばかり、たとえば簡単な仮面かめんとか楽器とか、または神社から出る記念品のようなものであったことは、深い意味のあることなのである。その一つ一つについて話をしてみれば面白いのだが、それではあまり長くなる。ただここで私のいいたいのは、あんなオシャブリのような小さな玩具でも、やはり最初は、御宮笥おみやげであり、すなわち日本人の信仰から生まれて、発達したものだったということである。
        
 
         
〔つづく〕
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