与謝野晶子詩歌集

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旅の身の大河おほかはひとつまどはむやしづかに日記にきの里の名けしぬ(旅びと) 
 
小傘をがさとりて朝の水くみ我とこそ穂麦ほむぎあをあを小雨こさめふる里 
 
 
    × 
地獄の底の火に触れた、 
薔薇ばらうづまるとこに寝た、 
きん獅子ししにも乗りれた、 
てんちうする日もいた、 
おのが歌にも聞きれた。 
    × 
春風はるかぜあやの筆 
すべての物の上をで、 
光と色につくす派手。 
ことに優れてめでたきは 
牡丹ぼたんの花と人のそで。 
    × 
涙にれて火が燃えぬ。 
今日けふの言葉に気息いきがせぬ、 
絵筆をれど色が出ぬ、 
わたしの窓に鳥がぬ、 
空には白い月が死ぬ。 
    × 
あの白鳥はくてうも近く来る、 
すべての花も目を見はる、 
青い柳も手を伸べる。 
君を迎へて春のその 
みちの砂にも歌がある。 
    × 
大空おほそらならば指ささん、 
立つ波ならばれてみん、 
咲く花ならば手に摘まん。 
心ばかりは形無かたちなし、 
偽りとても如何いかにせん。