与謝野晶子詩歌集

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長き歌を牡丹にあれの宵の殿おとど妻となる身の我れぬけ出でし 
 
三月みつきおかぬ琴に音たてぬふれしそぞろの宵の乱れ髪 
 
 
 
 
 
 
 
  明日 
 
明日あすよ、明日あすよ、 
そなたはわたしの前にあつて 
まだ踏まぬ未来の 
不可思議のみちである。 
どんなに苦しい日にも、わたしは 
そなたにこがれてはげみ、 
どんなにたのしい日にも、わたしは 
そなたを望んで踊りあがる。 
 
明日あすよ、明日あすよ、 
死とうゑとに追はれて歩くわたしは 
たびたびそなたに失望する。 
そなたがやがて平凡な今日けふに変り、 
灰色をした昨日きのふになつてゆくのを 
いつも、いつもわたしは恨んで居る。 
そなたこそ人を釣るにほひゑさだ、 
光に似た煙だとのろふことさへある。 
 
けれど、わたしはそなたを頼んで、 
祭の前夜の子供のやうに 
明日あすよ、明日あすよ」と歌ふ。 
わたしの前には 
まだまだ新しい無限の明日あすがある。 
よしや、そなたが涙を、くいを、愛を、 
名を、歓楽を、なにを持つて来ようとも、 
そなたこそ今日けふのわたしを引く力である。 
 
 
 
 
 
 
 
  肖像 
 
わがけいする画家よ、 
ねがはくは、我がために、 
一枚の像をゑがきたまへ。 
 
バツクにはだ深夜の空、 
無智と死と疑惑との色なる黒に、 
深き悲痛の脂色やにいろを交ぜたまへ。 
 
髪みだせる裸の女、 
そは青ざめし肉塊とのみや見えん。 
じつと身ゆるぎもせずすわりて、 
尽きぬ涙を手に受けつつ傾く。 
前なる目に見えぬ無底むていふちのぞ姿勢かたち。 
 
目は疲れてあり、 
泣く前に、余りに現実を見たるため。 
口は堅くしまりぬ、 
いまひとたびも言はず歌はざるれのごとく。 
 
わがけいする画家よ、 
この像の女に、 
明日あすふ日のありと知らば、 
トワルのいづれかに黄金きんの目の光る一羽いちはふくろふを添へたまへ。 
されど、そは君が意に任せん、わが知らぬことなり。 
 
さて画家よ、彩料さいれうには 
わが好むパステルを用ひたまへ、 
剥落はくらく褪色たいしよくとは 
恐らくこの像の女の運命なるべければ。