与謝野晶子詩歌集

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肩おちてきやうにゆらぎのそぞろ髪をとめ有心者うしんじや春の雲こき 
 
とき髪を若枝わかえにからむ風の西よ二尺に足らぬうつくしき虹 
 
 
 
 
 
 
 
  正月 
 
正月を、わたしは 
元日ぐわんじつから月末つきずゑまで 
大なまけになまけてゐる。 
勿論もちろん遊ぶことは骨が折れぬ、 
けれど、ほかから思ふほど 
決して、決して、おもしろくはない。 
わたしはあの鼠色ねずみいろの雲だ、 
晴れた空に 
重苦しくとゞまつて、 
陰鬱いんうつな心を見せて居る雲だ。 
わたしはえず動きたい、 
なにかをしたい、 
さうでなければ、このいへの 
大勢が皆飢ゑねばならぬ。 
わたしはいらいらする。 
それでゐてなにも手にかない、 
人知れず廻る 
なまけぐせの毒酒どくしゆに 
ああ、わたしはてられた。 
今日けふこそはなにかしようと思ふばかりで、 
わたしは毎日 
つくねんと原稿を見詰めてゐる。 
もう、わたしの上に 
春の日はさないのか、 
春の鳥はかないのか。 
わたしのうちの火は消えたか。 
あのじつと涙をむやうな 
鼠色ねずみいろの雲よ、 
そなたも泣きたかろ、泣きたかろ。 
正月はいたづらにつてく。 
 
 
 
 
 
 
 
  大きな黒い手 
 
おお、寒い風が吹く。 
皆さん、 
もう夜明よあけ前ですよ。 
たがひに大切なことは 
「気をけ」の一語いちご。 
まだ見えて居ます、 
われわれの上に 
大きな黒い手。 
 
だ片手ながら、 
空にそびえて動かず、 
その指は 
じつと「死」を指してゐます。 
石でされたやうに 
我我の呼吸いきは苦しい。 
 
けれど、皆さん、 
我我は目が覚めてゐます。 
今こそはつきりとした心で 
見ることが出来ます、 
太陽の在所ありかを。 
また知ることが出来ます、 
華やかな朝の近づくことを。 
 
大きな黒い手、 
それはいやが上に黒い。 
その指はなほ 
じつと「死」を指して居ます。 
われわれの上に。