与謝野晶子詩歌集

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紺青こんじやうを絹にわが泣く春の暮やまぶきがさねとも歌ねびぬ 
 
まゐる酒にあかき宵を歌たまへをんなはらから牡丹に名なき 
 
 
 
 
 
 
 
  車の跡 
 
ここでたれの車が困つたか、 
泥が二尺の口をいて 
鉄の輪にひたと吸ひ付き、 
三度みたび四度よたび、人のすべつた跡も見える。 
其時そのとき両脚りやうあし槓杆こうかんとし、 
全身の力を集めて 
一気に引上げた心は 
鉄ならば火を噴いたであらう。 
ああ、みづかはげむ者は 
折折をりをり、これだけの事にも 
その二つと無い命をける。 
 
 
 
 
 
 
 
  繋縛 
 
木は皆そのみづからの根で 
地に縛られてゐる。 
鳥は朝飛んでも 
日暮には巣に返される。 
人の身も同じこと、 
自由なたましひを持ちながら 
同じ区、同じ町、同じ番地、 
同じ寝台ねだいに起きしする。