与謝野晶子詩歌集

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  伊香保の街 
 
榛名山はるなさんの一角に、 
段また段を成して、 
羅馬ロオマ時代の 
野外劇場アンフイテアトルごとく、 
斜めに刻みけられた 
桟敷がた伊香保いかほの街。 
 
屋根の上に屋根、 
部屋の上に部屋、 
すべてが温泉宿やどである。 
そして、はんの若葉の光が 
柔かい緑で 
街全体をぬらしてゐる。 
 
街を縦に貫く本道ほんだうは 
雑多の店にふちどられて、 
長い長い石の階段を作り、 
伊香保いかほ神社の前にまで、 
H《エツチ》の字を無数に積み上げて、 
殊更ことさらに建築家と絵師とを喜ばせる。 
 
 
 
 
 
 
 
  市に住む木魂 
 
木魂こだまは声の霊、 
如何いかかすかなる声をも 
早く感じ、早く知る。 
常に時に先だつ彼女は 
また常に若し。 
 
近き世の木魂こだまは 
いちの中、大路おほぢの 
並木のかげたゝずみ、 
常に耳を澄まして聞く。 
新しき生活の 
諧音かいおんの 
如何いかに生じ、 
如何いかに移るべきかを。 
 
木魂こだままれにも 
肉身にくしんを示さず、 
人のれて 
驚かざらんことをおそる。 
折折をりをりに 
叫びつ笑ふのみ。