与謝野晶子詩歌集

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ひとつはこにひひなをさめてふたとぢて何となきいき桃にはばかる 
 
ほの見しは奈良のはづれの若葉宿わかばやどうすまゆずみのなつかしかりし 
 
 
 
 
 
 
 
  M氏に 
 
小高こだかい丘の上へ、 
なにかを叫ぼうとして、 
あとから、あとからと 
駆け登つてく人。 
 
丘の下には 
多勢おほぜいの人間が眠つてゐる。 
もう、よるでは無い、 
太陽は中天ちうてんに近づいてゐる。 
 
登つてく人、く人が 
丘の上に顔を出し、 
胸を張り、両手を拡げて、 
「兄弟よ」と呼ばはる時、 
さつと血煙ちけぶりがその胸から立つ、 
そしてその人は後ろに倒れる。 
陰険な狙撃そげきの矢にあたつたのである。 
次の人も、また次の人も、 
みんな丘の上で同じ様に倒れる。 
 
丘の下には 
眠つてゐる人ばかりで無い、 
目をさました人人ひとびとの中から 
丘に登る予言者と 
その予言者を殺す反逆者とが現れる。 
 
多勢おほぜいの人間はなにも知らずにゐる。 
もう、よるでは無い、 
太陽は中天ちうてんに近づいて光つてゐる。