与謝野晶子詩歌集

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  或る若き女性に 
 
頼む男のありながら 
添はれずとふ君を見て、 
一所いつしよに泣くはやすけれど、 
泣いて添はれるよしも無し。 
 
なになぐさめてはんにも 
甲斐かひなき明日あすの見通され、 
それと知る身は本意ほいなくも 
うちもだすこそ苦しけれ。 
 
片おもひとて恋は恋、 
ひとり光れる宝玉はうぎよくを 
君がいだきてもだゆるも 
人のうらやさちながら、 
 
海をよく知る船長は 
早くも暴風しけくとひ、 
賢き人は涙もて 
身をきよむるを知るとふ。 
 
君はいづれをえらぶらん、 
かく問ふことも我はせず、 
うちもだすこそ苦しけれ。 
君はいづれをえらぶらん。 
 
 
 
 
 
 
 
 
君死にたまふことなかれ 
 (旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて) 
 
 
 
ああ、弟よ、君を泣く、 
君死にたまふことなかれ。 
すゑに生れし君なれば 
親のなさけはまさりしも、 
親はやいばをにぎらせて 
人を殺せと教へしや、 
人を殺して死ねよとて 
廿四にじふしまでを育てしや。 
 
さかいの街のあきびとの 
老舗しにせを誇るあるじにて、 
親の名を継ぐ君なれば、 
君死にたまふことなかれ。 
旅順の城はほろぶとも、 
ほろびずとても、何事なにごとぞ、 
君は知らじな、あきびとの 
いへの習ひに無きことを。 
 
君死にたまふことなかれ。 
すめらみことは、戦ひに 
おほみづからはでまさね、 
かたみに人の血を流し、 
けものみちに死ねよとは、 
死ぬるを人のほまれとは、 
おほみこころの深ければ、 
もとより如何いかおぼされん。 
 
ああ、弟よ、戦ひに 
君死にたまふことなかれ。 
過ぎにし秋を父君ちゝぎみに 
おくれたまへる母君はゝぎみは、 
歎きのなかに、いたましく、 
我子わがこされ、いへり、 
やすしと聞ける大御代おほみよも 
母の白髪しらがは増さりゆく。 
 
暖簾のれんのかげに伏して泣く 
あえかに若き新妻にひづまを 
君忘るるや、思へるや。 
十月とつきも添はで別れたる 
少女をとめごころを思ひみよ。 
この世ひとりの君ならで 
ああまたたれを頼むべき。 
君死にたまふことなかれ。