与謝野晶子詩歌集

.

 
 
 
 
 
 
 
のろひ歌かきかさねたる反古ほごとりて黒き胡蝶をおさへぬるかな 
 
ぬかしろき聖よ見ずや夕ぐれを海棠に立つ春夢見姿はるゆめみすがた 
 
 
 
 
 
 
 
  椅子の上 
 
寒水石かんすゐせきのてえぶるに 
薄い硝子がらすの花の鉢。 
かひかたちのしやぼてんの 
真赤まつかな花に目をやれば、 
来る日で無いと知りながら 
来る日のやうに待つ心。 
無地の御納戸おなんど、うすいきぬ、 
台湾竹たいわんちくのきやしやな椅子いす。 
恋をする身は待つがよい、 
待つて涙の落ちるほど。 
 
 
 
 
 
 
 
  馬場孤蝶先生 
 
わたしの孤蝶こてふ先生は、 
いついつ見ても若いかた、 
いついつ見てもきやしやなかた、 
ひんのいいかた、静かなかた。 
古い細身のやりのよに。 
 
わたしの孤蝶こてふ先生は、 
ものおやさしい、んだの 
おつの調子で話すかた、 
ふらんす、ろしあの小説を 
わたしのめに話すかた。 
 
わたしの孤蝶こてふ先生は、 
それで何処どこやら暗いかた、 
はしやぐやうでも滅入めいかた、 
舞妓まひこの顔がをりをりに、 
扇のかげとなるやうに。 
 
 
 
 
 
 
 
  故郷 
 
さかいの街の妙国寺、 
その門前の庖丁屋はうちよやの 
浅葱あさぎ納簾のれんあひだから 
光る刄物はもののかなしさか。 
御寺おてらの庭の塀のうち、 
鳥の尾のよにやはらかな 
青い芽をふく蘇鉄そてつをば 
立つて見上げたかなしさか。 
御堂おだうの前のとをの墓、 
仏蘭西船フランスぶねつた 
重いとがゆゑ死んだ人、 
その思出おもひでのかなしさか。 
いいえ、それではありませぬ。 
生れ故郷にたが、 
親の無い身は巡礼の 
さびしい気持になりました。