与謝野晶子詩歌集

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  爪 
 
物を書きさし、思ひさし、 
広東カントン蜜柑みかんをむいたれば、 
あゐ鬱金うこんに染まるつめ。 
江戸の昔の廣重ひろしげの 
名所づくしの絵を刷つた 
版師はんしの指はうもあらうか。 
あゐ鬱金うこんに染まるつめ。 
 
 
 
 
 
 
 
  或国 
 
堅苦しく、うはべの律義りちぎのみを喜ぶ国、 
しかも、かるはずみなる移りの国、 
支那しな人ほどの根気なくて、浅く利己主義なる国、 
亜米利加アメリカの富なくて、亜米利加アメリカ化する国、 
疑惑と戦慄せんりつとを感ぜざる国、 
男みな背をかゞめて宿命論者となりゆく国、 
めでたく、うらやすく、万万歳ばんばんざいの国。 
 
 
 
 
 
 
 
  朝 
 
髪かき上ぐる手ざはりが 
なにやら温泉にゐるやうな 
軽い気分にわたしをする。 
このに手紙を書きませう、 
朝の書斎はこほれども、 
「君を思ふ」と巴里パリイあてに。 
 
 
 
 
 
 
 
  或家のサロン 
 
女は在る限り 
あらけづりの明治の女ばかり。 
一人ひとりあの若い詩人がゐて 
今日けふの会は引き立つ。 
永井荷風かふうの書くやうな 
おちついた、抒情詩的な物言ひ、 
また歌麿うたまろの版画の 
「上の息子」の身のこなし。