与謝野晶子詩歌集

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  髪 
 
つやなき髪に、焼鏝やきごてを 
てよとははねども、 
はずみ心に縮らせば、 
焼けてほろほろひざに散り、 
なかばうしなふ前髪の 
くちをし、悲し、あぢきなし。 
あはれと思へ、三十路みそぢへて 
なほふる女の身。 
 
 
 
 
 
 
 
  磯にて 
 
浜の日の出の空見れば、 
あかね木綿の幕を張り、 
静かな海に敷きつめた 
廣重ひろしげの絵の水あさぎ。 
(それもわたしの思ひなし) 
あちらを向いた黒い島。 
 
 
 
 
 
 
  九段坂 
 
青きなり。 
九段くだんの坂をのぼり詰めて 
振返りつつ見下みおろすことのうれしや。 
消え残る屋根の雪の色に 
近き家家いへいへ石造いしづくりの心地し、 
神田、日本橋、 
遠き街街まちまちのかげは 
緑金りよくこんと、銀と、紅玉こうぎよくの 
星の海を作れり。 
電車のきしり……… 
飯田町いひだまち駅の汽笛……… 
ふと、われは涙ぐみぬ、 
高きモンマルトルの 
段をなせるみちきて、 
君を眺めし 
ゆふべ巴里パリイを思ひでつれば。 
 
 
 
 
 
 
 
  年末 
 
あわただしい師走しはす、 
今年の師走しはす 
一箇月いつかげつ三十一日はよそのこと、 
わたしの心のこよみでは、 
わづか五六日ごろくにちで暮れてく。 
すべてをさし、思ひさし、 
なんにもはぬ女にて、 
する、する、すると幕になる。 
 
 
 
 
 
 
 
  市上 
 
騒音とちりの都、 
乱民らんみん賤民せんみんの都、 
静思せいしいとまなくて 
多弁の世となりぬ。 
舌と筆の暴力は 
腕のれに劣らず。 
ここにして勝たんとせば 
えよ、大声にえよ、 
さてたけく続けよ。 
卑しきを忘れし男、 
醜きをぢざる女、 
げに君達の名は強者きやうしやなり。