与謝野晶子詩歌集

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  日曜の朝飯 
 
さあ、一所いつしよに、我家うちの日曜の朝の御飯。 
(顔を洗うた親子八人はちにん、) 
みんなが二つのちやぶ台を囲みませう、 
みんなが洗ひ立ての白い胸布セルヴェツトを当てませう。 
独り赤さんのアウギユストだけは 
おとなしく母さんのひざの横にすわるのねえ。 
お早う、 
お早う、 
それ、アウギユストもお辞儀をしますよ、お早う、 
何時いつもの二斤にきん仏蘭西麺包フランスパンに 
今日けふはバタとジヤムもある、 
三合の牛乳ちちもある、 
珍しい青豌豆えんどうの御飯に、 
参州さんしう味噌のしゞみ汁、 
うづら豆、 
それから新漬しんづけ蕪菁かぶもある。 
みんな好きな物を勝手におあがり、 
ゆつくりとおあがり、 
たくさんにおあがり。 
朝の御飯は贅沢ぜいたくに食べる、 
ひるの御飯はえるやうに食べる、 
よるの御飯はたのしみに食べる、 
それはまつた他人よそのこと。 
我家うちの様ないへの御飯はね、 
三度が三度、 
父さんや母さんは働くために食べる、 
子供のあなた達は、よく遊び、 
よく大きくなり、よく歌ひ、 
よく学校へき、本を読み、 
よく物を知るやうに食べる。 
ゆつくりおあがり、 
たくさんにおあがり。 
せめて日曜の朝だけは 
父さんや母さんも人並に 
ゆつくりみんなと食べませう。 
お茶を飲んだら元気よく 
日曜学校へおき、 
みんなでおき。 
さあ、一所いつしよに、我家うちの日曜の朝の御飯。 
 
 
 
 
 
 
 
  駆け出しながら 
 
いいえ、いいえ、現代の 
生活と芸術に、 
どうして肉ばかりでゐられよう、 
単純な、盲目めくらな、 
そしてヒステリツクな、 
肉ばかりでゐられよう。 
五感がしち感にえる、 
いや、五十ごじつ感、百感にもえる。 
理性と、本能と、 
真と、夢と、徳とが手をつなぐ。 
すべてが細かにつて、 
すべてが千千ちぢりまじり、 
突風とつぷうと火の中に 
すべてが急にかくく。 
芸も、思想も、戦争も、 
国も、個人も、宗教も、 
恋も、政治も、労働も、 
すべてが幾何学的にあはされて、 
神秘なをどりえず舞ふ 
だい建築に変りく。 
ほんに、じつとしてはゐられぬ、 
わたしも全身を投げ出して、 
踊ろ、踊ろ。 
踊つてまぬ殿堂の 
白と赤との大理石マルブルの 
人像柱クリアテイイドの一本に 
諸手もろてを挙げて加はらう。 
阿片あへんいぶる…… 
発動機モツウルぜる…… 
がくが裂ける……