与謝野晶子詩歌集

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春はただ盃にこそぐべけれ智慧あり顔の木蓮や花 
 
さはいへど君が昨日きのふの恋がたりひだり枕の切なき夜半よ 
 
 
 
 
 
 
 
  旅行者 
 
霧のめた、太洋たいやうの離れ島、 
此島このしまの街はまだ寝てゐる。 
どの茅屋わらやの戸の透間すきまからも 
まだよるの明りが日本酒いろもらしてゐる。 
たまたま赤んぼのく声はするけれど、 
大人は皆たわいもない夢にふけつてゐる。 
 
突然、入港の号砲をとゞろかせて 
わたし達は夜中よなか此処ここいた。 
さうして時計を見ると、今、 
陸の諸国でもう朝飯あさはんの済んだころだ、 
わたし達はまだホテルが見附みつからない。 
まだ兄弟のれにもはない。 
 
ねんぢゆう旅してゐるわたし達は 
世界を一つの公園と見てゐる。 
さうして、自由に航海しながら、 
なつかしい生れ故郷の此島このしまへ帰つて来た。 
島の人間は奇怪な侵入者、 
不思議な放浪者バガボンドだとのゝしらう。 
 
わたし達は彼等をさまさねばならない、 
彼等をせいの力にあふれさせねばならない。 
よその街でするやうに、 
飛行機と露西亜ロシアバレエの調子で 
彼等と一所いつしよに踊らねばならない、 
此島このしまもわたし達の公園の一部である。 
 
 
 
 
 
 
 
  何かためらふ 
 
なにかためらふ、内気なる 
わが繊弱かよわなるたましひよ、 
幼児をさなごのごとわなゝきて 
な言ひそ、死をば避けましと。 
 
正しきにけ、たましひよ、 
戦へ、戦へ、みづからの 
しあはせのため、悔ゆるなく、 
恨むことなく、勇みあれ。 
 
飽くこと知らぬ口にこそ 
世の苦しみも甘からめ。 
わがたましひよ、立ち上がり、 
せいに勝たんと叫べかし。 
 
 
 
 
 
 
 
  真実へ 
 
わがしばらく立ちて沈吟ちんぎんせしは 
三筋みすぢあるわかみち中程なかほどなりき。 
一つのみち崎嶇きくたる 
石山いしやまいたゞきぢ登り、 
一つのみちは暗き大野の 
扁柏いとすぎの森の奥に迷ひ、 
一つのみちは河に沿ひて 
平沙へいしやの上をすべけり。 
 
われは幾度いくたびか引返さんとしぬ、 
かたの道には 
人間にんげん三月さんぐわつの花開き、 
紫のかすみ、 
金色こんじきの太陽、 
甘き花の、 
柔かきそよ風、 
われはだ幸ひの中にひしかば。 
 
されど今はかん、 
かの高き石山いしやま彼方かなた、 
あはれ其処そこにこそ 
なほ我を生かすみちはあらめ。 
わが願ふは最早もはや安息にあらず、 
夢にあらず、思出おもひでにあらず、 
よしや、足に血は流るとも、 
一歩一歩、真実へ近づかん。 
 
 
 
 
 
 
 
  森の大樹 
 
ああ森の巨人、 
千年の大樹だいじゆよ、 
わたしはそなたの前に 
一人ひとりのつつましい自然崇拝教徒である。 
 
そなたはダビデ王のやうに 
勇ましいこぶしを上げて 
地上のゆるしがたい 
んの悪を打たうとするのか。 
また、そなたはアトラス王が 
世界を背中に負つてゐるやうに、 
かの青空と太陽とを 
両手で支へようとするのか。 
 
そしてまた、そなたは 
どうやら、心の奥で、 
常に悩み、 
常にじつと忍んでゐる。 
それがわたしにわかる、 
そなたの鬱蒼うつさうたる枝葉えだはが 
休む無しに汗を流し、 
休む無しにわなゝくので。 
さう思つてそなたを仰ぐと、 
希臘ギリシヤ闘士の胴のやうな 
そなたのたくましい幹が 
全世界の苦痛の重さを 
だひとりで背負つて、 
永遠の中に立つてゐるやうに見える。 
 
ある時、風と戦つては 
そなたのこづゑは波のやうに逆立さかだち、 
荒海あらうみひゞきを立てて 
勝利の歌を揚げ、 
またある時、積む雪にされながらも 
そなたの目は日光の前に赤く笑つてゐる。 
 
千年の大樹だいじゆよ、 
蜉蝣ふいうの命を持つ人間のわたしが 
どんなにそなたにつて 
元気づけられることぞ。 
わたしはそなたのかげを踏んで思ひ、 
そなたの幹をでて歌つてゐる。 
 
ああ、願はくは、死後にも、 
わたしはそなたの根方ねがたに葬られて、 
そなたの清らかな樹液セエヴと 
隠れたあつい涙とを吸ひながら、 
更にわたしの地下の 
飽くこと知らぬ愛情を続けたい。 
 
なつかしい大樹だいじゆよ、 
もう、そなたは森の中に居ない、 
常にわたしのたましひの上に 
さわやかな広いかげを投げてゐる。