与謝野晶子詩歌集

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  砂の上 
 
「働くほかは無いよ、」 
「こんなに働いてゐるよ、僕達は、」 
威勢のいい声が 
しきりにきこえる。 
わたしはその声を目当めあてに近寄つた。 
薄暗い砂の上に寝そべつて、 
煙草たばこの煙を吹きながら、 
五六人の男が 
おなじやうなことを言つてゐる。 
 
わたしもしよざいが無いので、 
「まつたくですね」と声を掛けた。 
すると、学生らしい一人ひとりが 
「君は感心な働き者だ、 
女で居ながら、」 
うわたしに言つた。 
わたしはまだ働いたことも無いが、 
められたうれしさに 
「お仲間よ」と言ひ返した。 
 
けれども、目を挙げると、 
その人達のかたまりの向うに、 
よるの色を一層濃くして、 
まつ黒黒くろぐろと 
大勢の人間がすわつてゐる。 
みんな黙つてうつ向き、 
一秒のも休まず、 
力いつぱい、せつせと、 
大きな網を編んでゐる。 
 
 
 
 
 
 
 
  三十女の心 
 
三十女さんじふをんなの心は 
陰影かげも、けぶりも、 
音も無い火のかたまり、 
夕焼ゆふやけの空に 
一輪真赤まつかな太陽、 
だじつとてつして燃えてゐる。 
 
 
 
 
 
 
 
  わが愛欲 
 
わが愛欲は限り無し、 
今日けふのためより明日あすのため、 
香油をぞ塗る、更に塗る。 
知るや、知らずや、恋人よ、 
この楽しさを告げんとて 
わが唇を君に寄す。 
 
 
 
 
 
 
 
  今夜の空 
 
今夜の空は血を流し、 
そしてにはかに気の触れた 
あらしが長い笛を吹き、 
海になびいたのやうに 
えずゆらめく木の上を、 
海月くらげのやうに青ざめた 
月がよろよろ泳ぎゆく。