与謝野晶子詩歌集

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うたたねの君がかたへの旅づつみ恋の詩集の古きあたらしき 
 
戸に倚りて菖蒲あやめる子がひたひ髪にかかる薄靄うすもやにほひある朝 
 
 
 
 
 
 
 
  日中の夜 
 
真昼のなかによるが来た。 
空をく日は青ざめて 
氷のやうに冷えてゐる。 
わたしの心を通るのは 
黒黒くろぐろとしたてふのむれ。 
 
 
 
 
 
 
 
  人に 
 
新たにけた薔薇ばらながら 
古い香りを立ててゐる。 
初めて聞いた言葉にも 
昨日きのふの声がまじつてる。 
真実心しんじつしんを見せたまへ。 
 
 
 
 
 
 
 
  寂寥 
 
ほんにさびしい時が来た、 
驚くことが無くなつた。 
薄くらがりに青ざめて、 
しよんぼり独り手を重ね、 
恋の歌にも身がらぬ。 
 
 
 
 
 
 
 
  自省 
 
あはれ、やうやく我心わがこゝろ、 
おそるることを知りめぬ、 
たそがれ時の近づくに。 
いなとはへど、我心わがこゝろ、 
あはれ、やうやくうら寒し。 
 
 
 
 
 
 
 
  山の動く日 
 
山の動く日きたる、 
かくへど、人これを信ぜじ。 
山はしばらく眠りしのみ、 
その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。 
されど、そは信ぜずともよし、 
人よ、ああ、だこれを信ぜよ、 
すべて眠りし女、 
今ぞ目覚めざめて動くなる。 
 
 
 
 
 
 
 
  一人称 
 
一人称にてのみ物書かばや、 
我はさびしき片隅の女ぞ。 
一人称にてのみ物書かばや、 
我は、我は。