与謝野晶子詩歌集

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五月雨さみだれもむかしに遠き山の庵通夜つやする人に卯の花いけぬ 
 
四十八そのひとてらの鐘なりぬ今し江の北雨雲あまぐもひくき 
 
 
 
 
 
 
  乱れ髪 
 
ひたひにも、肩にも、 
わが髪ぞほつるる。 
しほたれて湯滝ゆだきに打たるる心もち…… 
ほつとつく溜息ためいきは火のごとつ狂ほし。 
かかること知らぬ男、 
我をめ、やがてまたそしるらん。 
 
 
 
 
 
 
 
  薄手の鉢 
 
われはづ、新しき薄手うすでの白磁の鉢を。 
水もこれにたたふれば涙と流れ、 
花もこれに投げるれば火とぞ燃ゆる。 
恐るるは粗忽そこつなる男の手に砕けんこと、 
素焼の土器よりも更にもろく、かよわく…… 
 
 
 
 
 
  剃刀 
 
青く、つ白く、 
剃刀かみそりのこころよきかな。 
暑き草いきれにきりぎりすき、 
ハモニカを近所の下宿にて吹くはたてけれども、 
我が油じみし櫛笥くしげの底をかき探れば、 
陸奥紙みちのくがみに包みし細身の剃刀かみそりこそづるなれ。 
 
 
 
 
 
 
 
  煙草 
 
にがきか、からきか、煙草たばこの味。 
煙草の味はひがたし。 
うまきぞとはば、粗忽そこつ者、 
みつ、砂糖のたぐひと思はん。 
我は近頃ちかごろ煙草たばこみ習へど、 
むことを人に秘めぬ。 
蔭口かげぐちに、男に似るとはるるはよし、 
だ恐る、かの粗忽そこつ者こそ世に多けれ。