与謝野晶子詩歌集

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  大震後第一春の歌 
 
おお大地震だいぢしんと猛火、 
その急激な襲来にも 
我我はへた。 
一難また一難、 
んでもよ、 
それを踏み越えてく用意が 
しかと何時いつでもある。 
 
大自然のあきめくら、 
見くびつてくれるな、 
人間には備はつてゐる、 
刹那せつなに永遠を見通す目、 
それから、上下左右へ 
即座に方向転移の出来る 
飛躍自在のたましひ。 
 
おおたましひである、 
はがねの質を持つた種子たね、 
火の中からでも芽をふくものは。 
おおたましひである、 
天の日、太洋たいやうなみ、 
それと共に若やかに 
燃え上がり躍り上がるのは。 
 
我我は「無用」を破壊して進む。 
見よ、大自然の暴威も 
時に我我の助手を勤める。 
我我は「必要」を創造して進む。 
見よ、溌溂はつらつたる素朴と 
未曾有みぞうの喜びの 
精神と様式とが前に現れる。 
 
たれ昨日きのふとらはれるな、 
我我の生活のみづみづしい絵を 
塗りのげた額縁にれるな。 
手はえずいちから図を引け、 
トタンと荒木あらきの柱とのあひだに、 
汗と破格の歌とをもつて 
かんかんとつちの音を響かせよ。 
 
法外な幻想に、 
愛と、真実と、労働と、 
科学とを織り交ぜよ。 
古臭い優美と泣虫とを捨てよ、 
歴史的哲学と、資本主義と、 
性別と、階級別とを超えた所に、 
我我は皆自己を試さう。 
 
新しく生きる者に 
日は常に元日ぐわんじつ、 
時は常に春。 
百のわざはひなにぞ、 
千のたゝかひで勝たう。 
おお窓毎まどごとに裸の太陽、 
軒毎のきごとに雪の解けるしづく。 
 
 
 
 
 
 
 
  元朝の富士 
 
今、一千九百十九年の 
最初の太陽が昇る。 
うつくしいパステルの 
こな絵具に似た、 
浅緑あさみどり淡黄うすきと 
すみれいろとの 
きとほりつつ降り注ぐ 
静かなるあかつきの光の中、 
東の空の一端に、 
天をつんざく 
珊瑚紅さんごこう熔岩ラヴァ—— 
新しい世界の噴火…… 
 
わたしは此時このとき、 
新しい目をそらさうとして、 
思はずも見た、 
おお、彼処かしこにある、 
巨大なダンテの半面像シルエツトが、 
巍然ぎぜんとして、天のなかばに。 
 
それはバルジエロの壁にかれた 
青いかんむりに赤い上衣うはぎ、 
細面ほそおもてに 
凛凛りゝしい上目うはめづかひの 
若き日の詩人と同じ姿である。 
あれ、あれ、「新生」のダンテが 
そのやさしく気高けだかい顔を 
いつぱいにあかくして微笑ほゝゑむ。 
 
人人ひとびとよ、戦後の第一年に、 
わたしと同じ不思議が見たくば、 
いざあふげ、共に、 
しゆに染まる今朝けさの富士を。