与謝野晶子詩歌集

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経にわかき僧のみこゑの片明かたあかり月の蓮船はすぶね兄こぎかへる 
 
浮葉きるとぬれし袂のあけのしづくはすにそそぎてなさけ教へむ 
 
 
 
 
 
 
  虞美人草 
 
虞美人草ぐびじんさうの散るままに、 
たはれた風も肩先を 
深くられて血を浴びる。 
 
虞美人草ぐびじんさうの散るままに、 
はたは火焔のほりとなり、 
入日いりひの海へ流れゆく。 
 
虞美人草ぐびじんさうも、わが恋も、 
ああ、散るままに散るままに、 
散るままにこそまばゆけれ。 
 
 
 
 
 
  罌粟の花 
 
この草原くさはらに、だれであろ、 
波斯ペルシヤの布の花模様、 
真赤まつか刺繍ぬひを置いたのは。 
 
いえ、いえ、これは太陽が 
土をきよめて世に降らす 
点、点、点、点、不思議の火。 
 
いえ、いえ、これは「水無月みなづき」が 
真夏の愛を地に送る 
あついくちづけ、燃ゆる星眸まみ。 
 
いえ、いえ、これは人同志 
恋にこがれた心臓の 
象形うらかたに咲く罌粟けしの花。 
 
おお、罌粟けしの花、罌粟けしの花、 
わたしのやうに一心いつしんに 
思ひつめたる罌粟けしの花。 
 
 
 
 
 
 
 
  散歩 
 
河からさつと風が吹く。 
風に吹かれて、さわさわと 
大きくなびく原のあし。 
 
あしあひだを縫ふみちの 
何処どこかで人の話しごゑ、 
そして近づく馬のだく。 
 
小高こだかをかに突き当り 
みちは左へ一廻ひとめぐり。 
私はをかけ上がる。 
 
下を通るは、馬の背に 
男のやうな帽をた 
亜米利加アメリカ婦人の二人ふたりづれ。 
 
緑を伸べた地平には、 
遠い工場こうばの煙突が 
赤い点をば一つ置く。