与謝野晶子詩歌集

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  夏日礼讃 
 
ああ夏が来た。この昼の 
若葉をとほす日の色は 
ほんに酒ならペパミント、 
黄金きんと緑を振り注ぎ、 
広く障子をけたれば、 
子供のやうな微風そよかぜが 
衣桁いかうに掛けた友染いうせんの 
長い襦袢じゆばんに戯れる。 
 
ああ夏が来た。こんな日は 
君もどんなに恋しかろ、 
巴里パリイの広場、街並木、 
珈琲店カツフエ前庭テラス、Boi《ボワ》 の池。 
私も筆の手を止めて、 
晴れた Seine《セエヌ》 の濃紫こむらさき 
今その水が目にうかび、 
じつと涙にれました。 
 
ああ夏が来た、夏が来た。 
二人ふたりの画家とつれだつて、 
君と私が Amian《アミアン》 の 
塔をたのも夏である。 
二度とかれる国で無し、 
私に帽をさし出した 
お寺の前の乞食こじきらに 
物をらずになぜ来たか。 
 
 
 
 
 
 
 
  庭の草 
 
庭いちめんにこころよく 
すくすくしげる雑草よ、 
弥生やよひの花に飽いた目は 
ほれぼれとしてれに向く。 
人の気づかぬ草ながら、 
十三塔じふさんたふを高く立て 
風の吹くたび舞ふもある。 
女らしくも手を伸ばし、 
れを追ふのか、いだくのか、 
上目うはめづかひに泣くもある。 
五月ごぐわつのすゑの外光ぐわいくわうに 
汗ののする全身を 
香炉かうろとしつつくもある。 
名をすら知らぬ草ながら、 
葉のかた見れば限り無し、 
さかづきのかた、とんぼがた、 
のこぎりのかたたてかた、 
ペンさきかた、針のかた。 
また葉の色も限り無し、 
青梅あをうめの色、鶸茶色ひわちやいろ、 
緑青ろくしやうの色、空の色、 
それに裏葉うらはの海の色。 
青玉色せいぎよくいろきとほり、 
地にへばりつくる葉には 
緑を帯びた仏蘭西フランスの 
牡蠣かき薄身うすみを思ひ出し、 
なまあたたかい曇天どんてんに 
細かな砂の灰が降り、 
南の風に草原くさはらが 
のろい廻渦うねりを立てる日は、 
坪ばかりの庭ながら 
紅海沖こうかいおきが目にうかぶ。