与謝野晶子詩歌集

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こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露 
 
明くる夜の河はばひろき嵯峨のらんきぬ水色の二人ふたりの夏よ 
 
 
 
 
 
 
 
  暴風 
 
洗濯物を入れたまま 
大きなたらひが庭を流れ、 
地がにはかに二三じやくも低くなつたやうに 
姫向日葵ひめひまはり鬱金うこんの花のさきだけが見え、 
ごむ手毬でまりがついと縁の下から出て、 
潜水服をたお伽噺とぎばなしの怪物の顧眄みえをしながら 
腐つたあかいダリアの花に取りすがる。 
五六枚しめた雨戸の間間あひだあひだからのぞく家族の顔は 
どれも栗毛くりげの馬の顔である。 
雨はますます白いやいばのやうに横に降る。 
 
わたしは颶風あらしにほぐれるすそを片手におさへて、 
泡立つてく濁流を胸がすく程じつと眺める。 
ひざぼしまで水につかつた郵便配達夫を 
人の木が歩いて来たのだと見ると、 
れた足のまゝ廊下でをどり狂ふ子供等は 
真鯉まごひの子のやうにも思はれた。 
ときどき不安と驚奇きやうきとの気分の中で、 
今日けふの雨のやうに、 
物の評価の顛倒ひつくりかへるのは面白い。