与謝野晶子詩歌集

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  すいつちよ 
 
青いすいつちよよ、 
青い蚊帳かやに来てく青いすいつちよよ、 
青いすいつちよの心では 
恋せぬ昔の私と思ふらん、 
さびしいさびしい私と思ふらん。 
思へば和泉いづみの国にて聞いたその声も 
今聞く声も変り無し、 
きさくな、づかぬ小娘の青いすいつちよよ。 
 
青いすいつちよよ、 
青いすいつちよは、なぜきさしてだまるぞ。 
わたしのほかに聞き慣れぬ男の気息いきはぢらふか、 
やつれの見えるわたしの、 
ほつれたるわたしの髪をじつと見て、 
虫の心もむせんだか。 
 
青いすいつちよよ、 
なになげくな、驚くな、 
わたしはすべて幸福しあはせだ、 
いざ、今日けふ此頃このごろを語らはん、 
来てとまれ、 
わたしの左の白いかひなすほどに。 
 
 
 
 
 
 
 
  上総の勝浦 
 
おおうつくしい勝浦、 
山が緑の 
優しい両手を伸ばした中に、 
海と街とを抱いてゐる。 
 
此処ここへ来ると、 
人間も、船も、鳥も、 
青空に掛るまろい雲も、 
すべてが平和な子供になる。 
 
太洋たいやうで荒れる波も、 
この浜の砂の上では、 
柔かな鳴海なるみ絞りのたもとを 
かろく拡げて戯れる。 
 
それは山に姿をりて 
静かに抱く者があるからだ。 
おおうつくしい勝浦、 
此処ここに私は「愛」を見た。 
 
 
 
 
 
 
 
  の泉 
 
の泉のとなるかなしさ、 
静けき若葉の身ぶるひ、夜霧の白い息。 
 
の泉のとなるかなしさ、 
微風そよかぜなげけば、花のぬれつつ身悶みもだえぬ。 
 
の泉のとなるかなしさ、 
黄金こがねのさしくし月姫つきひめうるみて彷徨さまよへり。 
 
の泉のとなるかなしさ、 
笛、笛、笛、笛、我等もかなしき笛を吹く。