与謝野晶子詩歌集

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  蜻蛉とんぼ 
 
木のかげになつた、青暗あおぐらい 
わたしの書斎のなかへ、 
午後になると、 
いろんな蜻蛉とんぼが止まりに来る。 
天井の隅や 
がくのふちで、 
かさこそと 
銀のひゞきはねざはり…… 
わたしは俯向うつむいて 
物を書きながら、 
心のなかで 
かうつぶやく、 
其処そこには恋に疲れた天使達、 
此処ここには恋に疲れた女一人ひとり。 
 
 
 
 
 
 
 
  夏よ 
 
夏、真赤まつかな裸をした夏、 
おまへはなんふ強い力で 
わたしをおさへつけるのか。 
おまへに抵抗するために、 
わたしは今、 
冬から春のあひだめた 
命の力を強く強く使はされる。 
 
夏、おまへは現実の中の 
ねつし切つた意志だ。 
わたしはおまへに負けない、 
わたしはおまへを取入とりいれよう、 
おまへにつてかう、 
太陽の使つかひ真昼まひるの霊、 
涙と影を踏みにじる力者りきしや。 
 
夏、おまへにつてわたしは今、 
特別な昂奮かうふんが 
偉大な情熱じやうねつおそろしい直覚とをもつて 
わたしの脈管みやくくわんに流れるのを感じる。 
なんと神神かうがうしい感興、 
おお、ねつした砂を踏んでかう。 
 
 
 
 
 
 
 
  夏の力 
 
わたしは生きる、力一ちからいつぱい、 
汗をき、ペンを手にして。 
今、宇宙の生気せいきが 
わたしに十分感電してゐる。 
わたしは法悦に有頂天にならうとする。 
雲が一片いつぺんあの空からのぞいてゐる。 
雲よ、おまへも放たれてゐる仲間か。 
よい夏だ、 
夏がわたしと一所いつしよに燃え上がる。