与謝野晶子詩歌集

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  蝉 
 
せみく。 
いぶるよに、じじと一つ、 
わたしのいへきりの木に。 
 
そのにつれて、そこ、かしこ、 
せみせみせみせみ、 
いろんなせみき出した。 
 
わたしのいへせみが 
最初の口火、 
いま山の手の番町ばんちやうの 
どの庭、どの木、どの屋根も 
七月の真赤まつかな吐息の火にげる。 
 
枝にも、葉にも、かはらにも、 
のきにも、戸にも、すだれにも、 
流れるやうなしゆした 
光のなかでせみく。 
 
無駄と知らずに、根気よく、 
砂をつかんでずらすせみ。 
 
なべの油を煮たぎらし、 
のろひごとする悪のせみ。 
 
重い苦患くげん身悶みもだえて、 
鉄の鎖をゆするせみ。 
 
悟りめかして、しゆ、しゆ、しゆ、しゆと 
水晶の珠数じゆずを鳴らすせみ。 
 
思ひ出してはひとしきり 
泣きじやくりする恋のせみ。 
 
せみせみせみせみ、 
あつい真夏の日もすがら、 
せみは 
んで、またき次ぐ。 
 
さてだれが知ろ、 
かず、叫ばず、ただひとり 
かげにかくれて、かすかにも 
羽ばたきをするめすせみ。 
 
 
 
 
 
 
 
  新秋 
 
朝露あさつゆのおくままに、天地あめつちは 
サフイイルと、青玉せいぎよくと 
真珠を盛つたギヤマンのしつ。 
朝の日の昇るまま、天地あめつちは 
黄金わうごんと、しろがねと 
珊瑚さんごをまぜたモザイクの壁。 
その中に歌ふトレモロ——秋の初風はつかぜ。 
 
 
 
 
 
 
 
  初秋はつあきの歌 
 
初秋はつあきぬ、白麻しらあさの 
明るき蚊帳かやしながら、 
の更けゆけば水色の 
麻のかろきを襟近く 
打被うちかづくまで涼しかり。 
 
上の我子わがこ二人ふたりづれ 
大人おとなごとく遠くき、 
夏の休みを陸奥みちのくの 
山辺やまべの友のいへに居て 
今朝けさうれしくも帰りきぬ。 
 
休みのはてにおのが子と 
別るるひなの親達は 
夏の尽くるや惜しからん、 
都に住めるしあはせは 
秋の立つにも身に知らる。 
 
貧しけれども、わがいへの 
今日けふ夕食ゆふげの楽しさよ、 
黒川郡くろがはぐん山辺やまべにて 
我子わがこれる百合ゆりの根を 
我子わがこと共にあぢはへば。 
 
 
 
 
 
 
 
  初秋の月 
 
世界はいと静かに 
涼しきよるとばりねむり、 
黄金こがねうを一つ 
その差延べし手に光りぬ、 
初秋はつあきの月。 
 
紫水晶むらさきずゐしやうの海は 
黒き大地だいぢに並び夢みて、 
一つの波は彼方かなたより 
柔かき節奏ふしどりに 
その上をきたる。 
 
波は次第に高まる、 
麦のうねの風にさかごとく。 
さて長きいその上に 
拡がり、拡がる、 
しろがねのあみとして。 
 
波は幾度いくたびもくり返し 
しき光のうをを抱かんとす。 
されどあみを知らで、 
常に高く彼処かしこに光りぬ、 
初秋はつあきの月。 
 
 
 
 
 
 
 
  優しい秋 
 
誇りかな春に比べて、 
優しい、優しい秋。 
目に見えない刷毛はけを 
秋は手にして、 
日蔭ひかげの土、 
風に吹かれる雲、 
街の並木、 
かやの葉、 
かづらつる、 
雑草の花にも、 
一つ一つ似合はしい 
い色をえらんで、 
まんべんなく、細細こまごまと、 
みんなをゑどつてく。 
御覧ごらんよ、 
そのはたけに並んだ、 
小鳥のあしよりも繊弱きやしやな 
蕎麦そばの茎にも、 
夕焼の空のやうな 
うつくしい臙脂紫ゑんじむらさき…… 
これが秋です。 
優しい、優しい秋。 
 
 
 
 
 
 
 
  コスモスの花 
 
少し冷たく、にほはしく、 
清く、はかなく、たよたよと、 
コスモスの花、高く咲く。 
秋の心を知る花か、 
うすももいろに高く咲く。 
 
 
 
 
 
 
 
  秋声 
 
初秋はつあきの日の砂の上に 
ひろき葉一つ、はかなくも 
薄黄うすきを帯びし灰色の 
影をばきて落ちきたる。 
あはれ傷つく鳥ならば 
血にみつつも叫ばまし、 
秋にへざる落葉おちばこそ 
反古ほごにひとしきおとすなれ。 
 
 
 
 
 
 
 
  秋 
 
秋は薄手うすでさかづきか、 
ちんからりんと杯洗はいせんに触れて沈むよな虫がく。 
秋は妹の日傘パラソルか、 
きやしやな翡翠ひすゐ把手とつて、 
明るい黄色きいろの日があたる。 
 
さて、また、秋は廿二三にじふにさん今様いまやうづくり、 
青みを帯びたお納戸なんど著丈きだけすらりと、 
白茶地しらちやぢ金糸きんしの多い色紙形しきしがた唐織からおりの帯もまばゆく、 
園遊会の片隅のいたやもみぢかげき、 
少し伏目に、まつ白な菊の花壇をじつと見る。 
 
それから後ろのわたしと顔を見合せて、 
「まあ、いい所で」と走り寄り、 
「どうしてそんなにおせだ」と、 
十歳とをの時、別れた姉のやうな口振くちぶりは、 
優しい、優しい秋だこと。