与謝野晶子詩歌集

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  腐果 
 
白がちのコバルトの 
うす寒き師走しはす、 
書斎の隅なる 
セエヴルの鉢より 
幾つかのくわりんの身動みじろげり。 
 
あはれ百合ゆりよりも甘し、 
鈴蘭すゞらんよりも清し、 
あはれ白き羽二重のごとかるし、 
黄金きんの針のごとく痛し、 
熟したるくわりんののかをり。 
 
くわりんのに迫るは 
つれなき風、からき夜寒よさむ、 
あざ笑ふ電灯のひかり、 
いづこぞや、かの四月の太陽は、 
かの七月の露は。 
 
されど、今、くわりんのには 
苦痛と自負と入りまじり、 
むなしく腐らじとする 
そのしんこらぢからは 
黄なる蛋白石オパアルの肌を汗ばませぬ。 
 
ああ、くわりんのは 
冬と風とにもほろぼされず、 
心と、肉と、晶液しやうえきと、 
内なるたふとき物皆をとして 
永劫えいごふあひだにたなびきく。 
 
 
 
 
 
 
 
  冬の一日 
 
雪がんだ、 
太陽が笑顔を見せる。 
庭につもつた雪は 
硝子がらす越しに 
ほんのりと薔薇ばら色をして、 
綿のやうに温かい。 
 
小作こづくりな女の、 
年よりは若く見える、 
まげを小さくつた、 
ひんいお祖母ばあさんは、 
古風な糸車いとぐるまの前で 
黙つてつむいでゐる。 
 
太陽が部屋へはひつて、 
祖母ばあさんの左の手に 
そつと唇を触れる。 
祖母ばあさんは何時いつにか 
うつくしい薔薇ばら色の雪を 
黙つてつむいでゐる。 
 
 
 
 
 
 
 
  冬を憎む歌 
 
ああ憎き冬よ、 
わがいへのために、冬は 
恐怖おそれなり、のろひなり、 
闖入者ちんにふしやなり、 
虐殺なり、なり。 
 
街街まちまちの柳の葉をり落して、 
びたる銅線のごとく枝のみをふるはしめ、 
そのの菊を枝炭えだずみごと灰白はいじろませ、 
家畜のひづめを霜の上にのめらしめて、 
ああなほ飽くことを知らざるや、冬よ。 
 
冬は更に人間を襲ひて、 
づわがいへきたりぬ。 
冬は風となりて戸を穿うがち、 
えんよりせり出し、 
霜となりて畳にひそめり。 
 
冬はインフルエンザとなり、 
喘息ぜんそくとなり、 
気管支炎となり、 
肺炎となりて、 
親と子と八人はちにんを責めさいなむ。 
 
わがいへは飢ゑと死にとなりし、 
寒さと、ねつと、せきと、 
ねつと、汗と、吸入きふにふの蒸気と、 
呻吟しんぎんと、叫びと、悶絶もんぜつと、 
たんと、薬と、涙とにてり。 
 
かくて十日とをか……なほえず 
ああ我心わがこゝろは狂はんとす、 
短劔たんけんりて、 
ただ一撃に刺さばや、 
憎き、憎き冬よ、その背を。