与謝野晶子詩歌集

.

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  東京にて 
 
わたしはあまりに気が滅入めいる。 
なんの自分を案じましよ、 
君を恋しと思ひ過ぎ、 
引き立ち過ぎて気が滅入めいる。 
 
「初恋の日は帰らず」と、 
わたしの恋の琴のに 
その弾き歌は用が無い。 
昔にまさる燃える気息いき。 
 
昔にまさるため涙。 
人目をつつむ苦しさに、 
鳴りを沈めた琴のいと、 
じつとかなしく張り詰める。 
 
巴里パリイ大路おほぢく君は 
わたしのほかに在るとても、 
わたしは君のほかに無い、 
君のほかには世さへ無い。 
 
君よ、わたしの遣瀬やるせなさ、 
三月みつき待つに身が細り、 
四月よつき今日けふは狂ひに 
するかとばかり気が滅入めいる。 
 
人並ならぬ恋すれば、 
人並ならぬ物おもひ。 
れもわたしの幸福しあはせと 
思ひ返せど気が滅入めいる。 
 
昨日きのふの恋は朝の恋、 
またのどかなる昼の恋。 
今日けふする恋は狂ほしい 
真赤まつか入日いりひひとさかり。 
 
とは思へども気が滅入めいる。 
しもそのまま旅に居て 
君帰らずばなんとせう。 
わたしは矢張やはり気が滅入めいる。 
 
 
 
 
 
 
 
  図案 
 
久しき留守にりかかる 
君が手なれの竹の椅子いす。 
とる針よりも、糸よりも、 
女ごころのかぼそさよ。 
 
ひざになびいたひとひらの 
江戸紫に置くぬひは、 
ひまなく恋に燃える血の 
真赤な胸の罌粟けしの花。 
 
花に添ひたる海の色、 
ふかみどりなる罌粟けしの葉は、 
君が越えたる浪形なみがたに 
流れて落ちるわが涙。 
 
さはへ、女のたのしみは、 
わが罌粟けしの「夢」にさへ 
花をば揺する風に似て、 
君が気息いきこそかよふなれ。