与謝野晶子詩歌集

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  市中沙塵 
 
柳の青むころながら、 
二月の風は殺気さつきだち、 
都の街の其処そこここに 
砂の毒瓦斯どくがす、砂の灰、 
砂の地雷を噴き上げる。 
 
よろよろとして、濠端ほりばたに 
山高帽をおさへたる 
洋服づれの逃げ足の 
操人形あやつりに似る可笑をかしさを、 
外目よそめに笑ふひまも無く、 
 
さと我顔わがかほに吹きつくる 
痛き飛礫つぶてに目ふさげば、 
かろ眩暈めまひに身はかしぎ、 
思はずにじむ涙さへ 
砂の音して、あぢきなし。 
 
二月の風の憎きかな、 
乱るるすそは手に取れど、 
髪もたもと鍋鶴なべづるの 
灰色したる心地して、 
砂のけぶり羽羽はばたきぬ。 
 
 
 
 
 
 
 
  弥生の歌 
 
にはかに人の胸を打つ 
高いじめの弥生やよひかな、 
支那しな鼓弓こきう弥生やよひかな。 
 
かぼそい靴を爪立つまだてて 
くるりとめぐ弥生やよひかな、 
露西亜ロシアバレエの弥生やよひかな。 
 
薔薇ばらに並んだチユウリツプ、 
黄金きん」と白との弥生やよひかな、 
ルイ十四世じふしせい弥生やよひかな。 
 
 
 
 
 
 
 
  四月の太陽 
 
ああ、今やつと目のめた 
はればれとせぬ、薄い黄の 
メランコリツクの太陽よ、 
霜、氷、雪、北風の 
諒闇りやうあんの日は過ぎたのに、 
永く見詰めて寝通ねとほした 
暗い一間ひとまを脱け出して、 
柳並木の河岸かしどほり 
塗り替へられた水色の 
きやしやな露椅子バンクに腰を掛け、 
白い諸手もろて細杖ほそづゑの 
銀の把手とつてに置きながら、 
風をおそれて外套ぐわいたうの 
うすい焦茶の襟を立て、 
やまひあがりの青ざめた 
顔をうづめて下を向く 
若い男の太陽よ。 
しかし早くも、うつくしい 
うすくれなゐの微笑ほゝゑみは 
太陽のにさつと照り、 
おほひ切れざる喜びの 
底ぢからある目差まなざしは 
きんの光をちらと射る。 
あたりを見れば、桃さくら、 
エリオトロオプ、チユウリツプ、 
小町こまち娘をりぬいた 
花の踊りの幾むれが 
春の歌をば口口くちぐちに 
細いかひなをさしのべて、 
ああ太陽よ、新しく 
そなたを祝ふ朝が来た。 
もとより若い太陽に 
春は途中のしくなれば、 
いざ此処ここにして胸を張り 
全身の血を香らせて 
花と青葉を呼吸せよ、 
いざたましひをすこやかに 
はた清くして、晶液しやうえきの 
したゝる水に身を洗へ。 
やがて、そなたの行先ゆくさきは 
すべての溝が毒にき、 
すべての街が悪に燃え、 
腐れたにほひ、あつ気息いき、 
雨と洪水、かびと汗、 
蠕虫うじ、バクテリヤ、泥と人、 
其等それらの物のりまじり、 
濁り、泡立ち、せ返る 
夏の都を越えながら、 
けがれず、病まず、かなしまず、 
信と勇気の象形うらかたに 
細身の剣と百合ゆりを取り、 
ああ太陽よ、悠揚いうやうと 
秋の野山に分けれよ、 
其処そこにそなたの唇は 
黄金きん果実このみに飽くであろ。