与謝野晶子詩歌集

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  仏蘭西の海岸にて 
 
さあ、あなた、いそへ出ませう、 
夜通やどほし涙にれた 
気高けだかい、清い目を 
世界が今けました。 
おお、夏のあかつき、 
このあかつきの大地の美しいこと、 
天使の見る夢よりも、 
聖母の肌よりも。 
 
海峡には、ほのぼのと 
白い透綾すきやの霧が降つて居ます。 
そして其処そこの、近い、 
黒い暗礁の 
まばらに出た岩の上に 
さぎが五六、 
首をはねの下にれて、 
あしを浅い水にけて、 
じつとまだ眠つてゐます。 
彼等を驚かさないやうに、 
水際みづぎはの砂の上を、そつと、 
素足でるいてきませう。 
 
まあ、神神かう/″\しいほど、 
涼しい風だこと…… 
世界の初めにエデンの園で 
若いイヴの髪を吹いたのもこの風でせう。 
ここにも常に若い 
みづみづしい愛の世界があるのに、 
なぜ、わたし達は自由に 
裸のままで吹かれてかないのでせう。 
けれど、また、風に吹かれて、 
帆のやうにたもとの揚がる快さには 
日本の著物きもの幸福しあはせが思はれます。 
 
御覧ごらんなさい、 
わたし達の歩みに合せて、 
もう海が踊り始めました。 
緑玉エメラルド女衣ロオブに 
水晶と黄金きん笹縁さゝべり…… 
浮き上がりつつ、沈みつつ、 
沈みつつ、浮き上がりつつ…… 
そして、その拡がつた長いすそが 
わたし達の素足ともつれ合ひ、 
そしてまた、ざぶるうん、ざぶるうんと 
を置いて海の鐃鉢ねうばちが鳴らされます。 
 
あら、さぎが皆立つてきます、 
にはかに紅鷺べにさぎのやうに赤く染まつて…… 
日が昇るのですね、 
霧の中から。