与謝野晶子詩歌集

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  セエヌ川 
 
ほんにセエヌ川よ、いつ見ても 
灰がかりたる浅みどり…… 
陰影かげに隠れたうすものか、 
泣いた夜明よあけの黒髪か。 
 
いいえ、セエヌ川は泣きませぬ。 
橋からのぞくわたしこそ 
旅にやつれたわたしこそ…… 
 
あれ、じつと、紅玉リユビイの涙のにじむこと…… 
船にも岸にもがともる。 
セエヌ川よ、 
やつばりそなたも泣いてゐる、 
女ごころのセエヌ川…… 
 
 
 
 
 
 
 
  芍薬 
 
大輪たいりんに咲く仏蘭西フランスの 
芍薬しやくやくこそは真赤まつかなれ。 
まくらにひと置きたれば 
わが乱れ髪夢にして 
みづからを焼く火となりぬ。 
 
 
 
 
 
 
 
  ロダンの家の路 
 
真赤まつかな土が照り返す 
だらだらざか二側ふたかはに、 
アカシヤののつづくみち。 
 
あれ、あの森の右のかた、 
飴色あめいろをした屋根と屋根、 
あのあひだから群青ぐんじやうを 
ちらとなすつたセエヌ川…… 
 
涼しい風が吹いて来る、 
マロニエのと水のと。 
 
これが日本のはたけなら 
青い「ぎいす」が鳴くであろ。 
黄ばんだ麦と雛罌粟ひなげしと、 
黄金きんに交ぜたるしゆの赤さ。 
 
き捨てた荷車か、 
眠い目をして、みちばたに 
じつと立ちたる馬の影。 
 
「 MAITRE《メエトル》 RODIN《ロダン》 の別荘は。」 
問ふ二人ふたりより、そばに立つ 
KIMONO《キモノ》 姿のわたしをば 
不思議と見入る田舎人ゐなかびと。 
 
「メエトル・ロダンの別荘は 
ただ真直まつすぐきなさい、 
木のあひだから、その庭の 
風見車かざみぐるまが見えませう。」 
 
巴里パリイから来た三人さんにんの 
胸はにはかにときめいた。 
アカシヤののつづくみち。