与謝野晶子詩歌集

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  和蘭陀の秋 
 
秋の日が—— 
旅人の身につまされやすい 
秋の日がゆふべとなり、 
薄むらさきにけぶつた街の 
高いいへいへとのあひだに、 
今、太陽が 
万年青おもとのやうに真紅しんくに 
しつとりとれて落ちてく。 
 
反対ながはの屋根の上には、 
港の船の帆ばしらが 
どれも色硝子いろがらすの棒を立て並べ、 
そのなかに港の波が 
幻惑の彩色さいしき打混うちまぜて 
ぎらぎらとモネの絵のやうに光る。 
よく見ると、その波のなかばは 
無数の帆ばしらのさきからひるがへる 
細長い藍色あゐいろの旗である。 
 
あなた、窓へ来て御覧なさい、 
手紙を書くのはあとにしませう、 
まあ、この和蘭陀おらんだの海の 
うつくしい入日いりび。 
わたし達は、まだ幸ひに若くて、 
かうして、アムステルダムのホテルの 
五階の窓に顔を並べて、 
この入日いりびを眺めてゐるのですね。 
つて、 
明日あすわたし達が此処ここを立つてしまつたら、 
またの港が見られませうか。 
 
あれ、ぐ窓の下の通りに、 
猩猩緋しやう/″\ひ上衣うはぎを黒の上にた 
一隊の男のの行列、 
なん可愛かはいい 
小学の制服なんでせう。 
 
ああ、東京の子供達は 
どうしてゐるでせう。 
 
 
 
 
 
 
 
  同じ時 
 
黒く大いなる起重機 
我が五階の前に立ちふさがり、 
その下に数町すうちやう離れて 
沖に掛かれる汽船の 
黄菊きぎくの花を並ぶ。 
税関の彼方かなた、 
桟橋に寄るなみのたぶたぶと 
折折をりをりに鳴りて白し。 
いづこの酒場の窓よりぞ、 
ギタルに合はする船人ふなびとうた 
秋の夜風よかぜまじり、 
波止場に沿ふ散歩道は 
落葉おちばしたる木立こだちの幹に 
海の反射淡く残りぬ。 
うら寒し、はるばるつる 
アムステルダムの一夜いちや。 
 
 
 
 
 
 
 
   きしう 
 
 
知らざりしかな、昨日きのふまで、 
わがかなしみをわが物と。 
あまりに君にかかはりて。 
 
君のむ日をまのあたり 
巴里パリイの街に見るれの 
あはれなにとてさびしきか。 
 
君が心はをどれども、 
わがあつかりし火はれて、 
みづからを泣く時のきぬ。 
 
わが聞くがくはしほたれぬ、 
わが見る薔薇ばらはうすじろし、 
わがる酒は酢に似たり。 
 
ああ、わが心なく、 
東の空にとどめこし 
我子わがこの上に帰りゆく。