与謝野晶子詩歌集

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  記事一章 
 
今は 
(私は正しく書いて置く、) 
一千九百十六年一月十日の 
午前二時四十しじふ二分。 
そして此時このときから十七じふしち分前に、 
一つの不意な事件が 
私を前後不覚に 
くつくつと笑はせた。 
 
宵の八時に 
子供達を皆寝かせてから、 
良人をつとと私はいつもの通り、 
まつたく黙つて書斎に居た。 
一人ひとりは書物に見入つて 
折折をりをりそつと辞書を引き、 
一人ひとり締切しめきりに遅れた 
雑誌の原稿を書いて居た。 
毎夜まいよの習はし…… 
飯田町いひだまちを発した大貨物列車が 
崖上がけうへ中古ちゆうぶる借家しやくやを 
船のやうに揺盪ゆすつて通つた。 
この器械的地震に対して 
私達の反応は鈍い、 
だぼんやり 
もう午前二時になつたと感じたほかは。 
 
それからも無くである。 
庭に向いて机を据ゑた私と 
雨戸を中に一尺の距離もない 
ぐ鼻の先のそとで、 
突然、一つのくしやみが破裂した、 
「泥坊のくしやみだ、」 
刹那せつなにかう直感した私は 
思はずくつくつと笑つた。 
 
んだね」と良人をつとふり向いた時、 
その不可抗力の声に気まり悪く、 
あわてて口をおさへて、 
そつと垣の向うへ逃げた者がある。 
「泥坊がくしやみをしたんですわ、」 
大洋の底のやうな六時間の沈黙が破れて、 
二人ふたりの緊張が笑ひにけた。 
こんなに滑稽こつけいな偶然と見える必然が世界にある。 
 
 
 
 
 
 
 
  砂 
 
川原かはらの底の底のあたひなき 
砂の身なれば人らず、 
風の吹く日はちりとなり 
雨の降る日は泥となり、 
人、牛、馬の踏むままに 
しひしがれて世にありぬ。 
まれ川原かはらのそこ、かしこ、 
れんげ、たんぽぽ、月見草つきみさう、 
ひるがほ、野菊、白百合しろゆりの 
むらむらと咲く日もあれど、 
流れて寄れる種なれば 
やがて流れて跡も無し。 
 
 
 
 
 
 
 
  怖ろしい兄弟 
 
ここのいへ名前人なまへにんは 
総領の甚六がなつてゐる。 
欲ばかりつて 
思ひやりの欠けてゐる兄だ。 
不意に、隣のうちへ押しかけて、 
かばひ手のない老人としよりの 
半身不随の亭主に、 
「きさまの持つてゐる 
目ぼしい地所や家蔵いへくら寄越よこせ。 
おらは不断おめえに恩を掛けてゐる。 
おらが居ねえもんなら、 
おめえの財産なんか 
とほの昔に 
近所からりにされて居たんだ。 
その恩返おんかへしをしろ」とつた。 
なんぼよいよいでも、 
隣のおやぢには、性根しやうねがある。 
あるだけの智慧をしぼつて 
甚六の言ひがかりをこばんだ。 
押問答が長引いて、 
二人ふたりの声が段段と荒くなつた。 
文句に詰つた甚六が 
得意な最後の手を出して、 
こぶしを振上げさうになつた時、 
大勢の甚六の兄弟が 
がやがやと寄つて来た。 
「腰がゑいなあ、兄貴、」 
おどしが足りねえなあ、兄貴、」 
「もつと相手をいぢめねえ、」 
「なぜ、いきなり刄物はものを突きけねえんだ、」 
「文句なんからねえ、腕づくだ、腕づくだ、」 
こんなことを口口くちぐちつて、 
兄をのゝしる兄弟ばかりである、 
兄を励ます兄弟ばかりである。 
ほんとに兄を思ふ心から、 
なぜ無法な言ひがかりなんかしたんだと 
兄の最初の発言を 
とがめる兄弟とては一人ひとりも居なかつた。 
おお、おそろしい此処ここいへの 
名前人なまへにんと家族。