与謝野晶子詩歌集

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  春の微風 
 
ああ三月さんぐわつのそよかぜ、 
みつと、と、日光とに 
そのたをやかな身を浸して、 
春の舞台に登るそよかぜ。 
 
そなたこそ若き日の初恋の 
あまき心を歌ふ序曲なれ。 
たよたよとして微触ほのかなれども、 
いと長きその喜びは既にあふる。 
 
また、そなたこそ美しきジユリエツトの 
ロメオに投げし燃ゆる目なれ。 
また、フランチエスカとパウロとの 
ぬか寄せて心ひつつ読みしふみなれ。 
 
ああ三月さんぐわつのそよかぜ、 
今、そなたの第一の微笑ほゝゑみに、 
人も、花も、胡蝶こてふも、 
わなわなと胸踊る、胸踊る。 
 
 
 
 
 
 
 
  桜の歌 
 
花の中なる京をんな、 
薄花うすはなざくら眺むれば、 
女ごころに晴れがまし。 
 
女同士とおもへども、 
女同士の気安さの 
中になにやら晴れがまし。 
 
春の遊びをづる君、 
知りたまへるや、この花の 
分けていみじき一時ひとときを。 
 
日は今西に移りき、 
知りたまへるや、がくれて、 
青味を帯びしひと時を。 
 
日は今西に移りき、 
静かにかすむ春の昼、 
花は泣かねど人ぞ泣く。