与謝野晶子詩歌集

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  冷たい夕飯 
 
ああ、ああ、どうなつてくのでせう、 
智慧も工夫も尽きました。 
それがわづかなおあしでありながら、 
融通のかないとふことが 
こんなに大きく私達をくるしめます。 
たゞしく受取る物が 
本屋の不景気から受取れずに、 
幾月いくつきも苦しい遣繰やりくりや 
恥を忘れた借りを重ねて、 
ああ、たうとうきづまりました。 
 
人は私達の表面うはべを見て、 
くらしむきが下手へただとふでせう。 
もちろん、下手へたに違ひありません、 
でも、これ以上に働くことが 
私達に出来るでせうか。 
また働きに対する報酬の齟齬そごを 
これ以下に忍ばねばならないとふことが 
おそろしいわざはひでないでせうか。 
少なくとも、私達の大勢の家族が 
避け得られることでせうか。 
 
今日けふ勿論もちろん家賃を払ひませなんだ、 
そのほかの払ひには 
二月ふたつきまへ、三月みつきまへからの借りが 
義理わるくたまつてゐるのです。 
それを延ばす言葉も 
今までは当てがあつてつたことが 
むを得ずうそになつたのでした。 
しかし、今日けふこそは、 
うそになると知つてうそひました。 
どうして、ほんたうの事がはれませう。 
 
なにも知らない子供達は 
今日けふの天長節を喜んでゐました。 
中にもひかるは 
明日あすの自分の誕生日を 
毎年まいとしのやうに、気持よく、 
弟や妹達と祝ふつもりでゐます。 
子供達のみづみづしい顔を 
二つのちやぶ台の四方しはうに見ながら、 
ああ、私達ふたおやは 
冷たい夕飯ゆふはんを頂きました。 
 
もう私達は顛覆てんぷくするでせう、 
隠して来たぼろを出すでせう、 
体裁をつてゐられないでせう、 
ほんたうに親子拾何人がかつゑるでせう。 
まつたくです、私達を 
再び立て直す日が来ました。 
耻と、自殺と、狂気とにすれすれになつて、 
私達を試みる 
赤裸裸の、極寒ごくかんの、 
氷のなかの日が来ました。 
  (一九一七年十二月作)