与謝野晶子詩歌集

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春かぜに桜花ちる層塔そうたふのゆふべを鳩のに歌そめむ 
 
憎からぬねたみもつ子とききし子の垣の山吹歌うて過ぎぬ 
 
 
 
 
 
 
 
  真珠貝 
 
真珠の貝は常に泣く。 
人こそ知らね、大海おほうみは 
風吹かぬ日もなみ立てば、 
なみに揺られて貝の身の 
ところさだめず伏しまろび、 
千尋ちひろの底に常に泣く。 
 
まして、たまたま目に見えぬ 
小さき砂の貝にり 
なみに揺らるるたびごとに 
さとやさしき身を刺せば、 
避くるよしなき苦しさに 
貝はもだえて常に泣く。 
 
忍びて泣けど、折折をりをりに 
涙は身よりにじみで、 
貝にこもれる一点の 
小さき砂をうるほせば、 
清く切なきその涙 
はかなき砂をおほひつつ、 
日ごとにたまと変れども、 
貝はまろびて常に泣く。 
 
東に昇る「あけぼの」は 
そのあたたか薔薇ばら色を、 
よるく月は水色を、 
にじは不思議の輝きを、 
ともに空より投げかけて、 
砂は真珠となりゆけど、 
それとも知らず、貝の身は 
なみに揺られて常に泣く。 
 
 
 
 
 
 
 
  浪のうねり 
 
島の沖なる群青ぐんじやうの 
とろりとしたる海の色、 
ゆるいうねりがを置いて 
大きなをさを振るたびに 
釣船一つ、まろまろと 
たらひのやうに高くなり、 
また傾きて低くなり、 
空と水とに浮き遊ぶ。 
君と住む身もれに似て 
ひろびろとした愛なれば、 
悲しきこともうれしきも 
だ永き日の波ぞかし。