与謝野晶子詩歌集

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  夏の歌 
 
あはれ、快きは夏なり。 
万年の酒男さかをとこ太陽は 
一時ひとときにその酒倉さかぐらけて、 
光と、ねつと、芳香はうかうと、 
七色なないろとの、 
巨大なるブタイユの前に 
人を引く。 
 
あはれ、快きは夏なり。 
人皆ギリシヤのいにしへごとく 
うすききぬけ、 
はた生れながらの 
裸となりて、 
飽くまでも、湯のごとく、 
光明くわうみやう歓喜くわんぎの酒を浴ぶ。 
 
あはれ、快きは夏なり。 
人皆太陽にへる時、 
たちまち前に裂くるは 
夕立のシトロン。 
さてよるとなれば、 
金属質の涼風すゞかぜと 
水晶の月、夢をゆする。 
 
 
 
 
 
 
 
  五月の歌 
 
ああ五月ごぐわつ、我等の世界は 
太陽と、花と、麦の穂と、 
瑠璃るりの空とをもて飾られ、 
空気は酒室さかむろ呼吸いきごとく甘く、 
光は孔雀くじやくはねごと緑金りよくこんなり。 
ああ五月ごぐわつ、万物は一新す、 
竹の子も地を破り、 
どくだみの花もてふを呼び、 
はちも卵を産む。 
かかる時に、母の胎をでて 
清く勇ましき初声うぶごゑを揚ぐる、 
抱寝だきねして、其児そのこに 
初めて人間のマナを飲まする母、 
はげしき熱愛ねつあいの中に手をる 
婚莚こんえんの若き二人ふたり、 
若葉に露の置くごとひたひに汗して、 
桑を摘み、麻を織る里人さとびと、 
共になにたる景福けいふく人人ひとびとぞ。 
たとひこの日、欧洲の戦場に立ちて、 
鉄と火の前に、 
大悪だいあく非道の犠牲とならん勇士も、 
また無料宿泊所の壁にりて 
明日あす朝飯あさはんしろを持たぬ無職者も、 
ああ五月ごぐわつこの月にへることは 
如何いかに力満ちたる実感のせいならまし。