与謝野晶子詩歌集

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月の夜のはすのおばしま君うつくしうら葉の御歌みうたわすれはせずよ 
 
たけの髪をとめ二人ふたりに月うすき今宵しらはす色まどはずや 
 
荷葉はすなかば誰にゆるすのかみ御句みく御袖みそで片取かたとるわかき師の君 
 
 
 
 
 
 
 
  暑き日の午前 
 
暑し、暑し、 
曇りたる日の温気うんきは 
あぶら障子の中にあるごとし。 
狭き書斎にべたる 
十鉢とはちの朝顔の花は 
早くも我に先立ちてねつを感じ、 
友禅の小切こぎれの 
れてたわめるごとく、 
また、書きさして裂きてまろめし 
ある時の恋の反古ほごごとく、 
はかなく、いたましく、 
みすぼらしく打萎うちしをれぬ。 
暑し、暑し、 
机のかげよりは 
ちひさく憎き吸血魔 
藪蚊やぶかこそ現れて、 
ひざを、足を、刺し初む。 
されど、アウギユストは元気にて 
彼方かなたの縁に水鉄砲をいぢり、 
けんはすやすやと 
枕蚊帳まくらかやの中に眠れり。 
このすきに、君よ、 
筆をきて、 
浴びたまはずや、水を。 
たた、たたと落つる 
水道の水は細けれど、 
その水音みづおとに、昨日きのふ、 
ふと我はしのびき、 
サン・クルウの森の噴水。 
 
 
 
 
 
 
 
  隠れ蓑 
 
わたしの庭の「かくれみの」 
常緑樹ときはぎながらいたましや、 
時も時とて、茱萸ぐみにさへ、 
枳殻からたちにさへ花の咲く 
夏の初めにいたましや、 
みどりの枝のそこかしこ、 
たまたまひと二葉ふたはづつ 
日毎ひごとに目立つ濃い鬱金うこん、 
若い白髪しらがを見るやうに 
染めて落ちるがいたましや。 
わたしの庭の「かくれみの、」 
見れば泣かれる「かくれみの。」