与謝野晶子詩歌集

.

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  後の身 
 
生きての後ののちの身は 
 何にならんと君は思ふ 
  恋しき人はほゝゑみて 
   我は花咲く木とならむ 
 
さらばゆかしき桜木か 
 朝日に匂ふさま見れば 
  君が心にふさはしき 
   すがたは外にあらじかし 
 
さかりいみじき一ときの 
 夢は昨日とすぎされば 
  今日はとひこん人もなき 
   心のうらを見んもうし 
 
さらば軒端のたちばなか 
 しづかふせやのうち迄も 
  香あまねき匂ひこそ 
   君が心のそれならめ 
 
昔の恋を思ひねの 
 夢のまくらに香りゆき 
  たまも消ゆべくわび人の 
   なげく涙を我は見じ 
 
されば深山の楓にか 
 千入にそむるくれなゐの 
  もゆる思ひのある君と 
   頼める我の違へりや 
 
きみがかごとぞおかしさよ 
 秋のもみぢと我ならじ 
  立田の姫の御心に 
   淡きと濃きの恨あり 
 
うつろひやすき人の世に 
 ときめく木々ぞうたてかる 
  松の千年はたのまねど 
   ゆるがぬ色のなつかしや 
 
ミユーズの神のすべ給ふ 
 岩間の清水わくほとり 
  枝をかはして君と我 
   松の大樹とならんかな 
 
夏の山行く旅人に 
 涼しき影をつくるべく 
  いろうるはしき乙女子が 
   恋のさはりをなげく時 
 
うき世のうさ蔽ふべく 
 若き詩人の木のもとに 
  恋のうたはむ夕あらば 
   清きしらべをともに合さん