与謝野晶子詩歌集

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友のあしのつめたかりきと旅の朝わかきわが師に心なくいひぬ 
 
ひとまおきてをりをりもれし君がいきその夜しら梅だくと夢みし 
 
 
 
 
 
 
  玉の小櫛 
 
   一 
 
竜神うろくづ海のつかひ 
肩さし手さし供奉ぐぶしまつるは 
すがだたみ八つ皮だたみ八つ 
数へおよばぬきぬうはだたみ 
三重みへ御輿みこしに花とこぼれて 
あけ御袴みはかまましら大御衣おほみぞ 
おん正身さうじみのみじろぐたびに 
小波わきて飾る黒髪 
 
うしほこそ四方よもには通へ 
さき追ふ魚が頭頭かしらかしらの 
瑠璃のを吹く風も有らねば 
水晶にく是れや蒔絵か 
大わだつみの底の御啓いでまし 
時に金色こんじき上より曳きて 
すゞしきひゞきいともさや/\ 
星の七つぞ深く落ちくる 
 
『美はしきものこと/″\ねたむ 
いまし竜神おそれ思はず 
やまと美童をぐな大皇子おほみこると 
相摸の海や走水はしりみづの海 
巨浪おほなみゆすりて詭計たばかりけりな 
犠牲にへが獲し弟橘おとたちばなは 
光環ひかりわかざすあめ幸姫さちひめ 
清らの恋のいきみすだまよ 
星の御座みくらへいざ疾く具せむ』 
 
あめの使に御手みてとられまし 
いま上げませるおん容顔かんばせや 
『相摸の小野をぬに燃ゆる凶火まがびの 
火中ほなかに立ちて問ひし君はも』 
とぞ御涙おんなみだこのに一つ 
熱く落ちぬと落ちぬと見しは 
あなや刺櫛珠の刺櫛 
櫛に尾を曳き星は昇りて 
 
   二 
 
天ざかる鄙の上総に 
藻をかづき勇魚いさなとるは 
天がした今さわげるも 
よそに聴く安き伏屋ふせやよ 
めざむれば海はぎたり 
 
はしきやし美くしづまの 
昨夜よべ磯に得たる刺櫛 
床に敷きねてし夢ぞ 
上ろうや星や竜神 
めづらかに尊かりしな 
 
あなうつけ此櫛こそは 
きその朝七日七夜を 
御方おんかた御裳みもの端だに 
得ばやとて相摸七浦 
上総かづさ潟長柄かたながらにも 
 
寄らずやと尋ねわびたる 
纒向まきむく日代ひしろの宮の 
御舎人みとねりことば御櫛みくし 
さらば妻帆岡のかたに 
御軍みいくさの跡を追はまし 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
あさはかにものいふ君よ、 
うまびとは耳もて聴かず、 
いとふかき心に聴きぬ。 
世はみな君をあざむとも、 
とまれ、千とせのいちにんに 
うなづかれまくものはのたまへ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  恋ふるとて 
 
恋ふるとて君にはよりぬ、 
君はしも恋は知らずも、 
恋をただ歌はむすべに 
こころ燃え、すがたやせつる。 
 
 
 
 
 
 
 
  いかが語らむ 
 
いかが語らむ、おもふこと、 
そはいと長きこゝろなれ、 
いま相むかふひとときに 
つくしがたなき心なれ。 
 
わが世のかぎり思ふとも、 
われさへ知るは難からし、 
君はた君がいのちをも 
かけて知らむと願はずや。 
 
夢のまどひか、よろこびか、 
狂ひごこちか、はた熱か、 
なべて詞に云ひがたし、 
心ただ知れ、ふかき心に。 
 
 
 
 
 
 
 
  皷いだけば 
 
皷いだけば、うらわかき 
姉のこゑこそうかびくれ、 
うちぎかづけば、華やぎし 
姉のおもこそにほひくれ、 
桜がなかにすだれして 
宇治の河見るたかどのに、 
姉とやどれる春の夜の 
まばゆかりしを忘れめや、 
もとより君は、ことばらに 
うまれ給へば、十四まで、 
父のなさけを身に知らず、 
家に帰れる五つとせも 
わが家ながら心おき、 
さては穂に出ぬ初恋や 
したに焦るる胸秘めて 
おもはぬかたの人に添ひ、 
泣く音をだにも憚れば 
あえかの人はほほゑみて 
うらはかなげにものいひぬ、 
あゝさは夢か、短命の 
二十八にてみまかりし 
姉をしのべば、更にまた 
そのすくせこそ泣かれぬれ。