与謝野晶子詩歌集

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  〔無題〕 
 
おのれをば殺せと云はむ、 
誰に云はむや 
十余年添ひたる人か、 
いたりあの笛吹の子か。 
   ○ 
男より退きて 
地か空か知らず、走せ過ぎる。 
驚くべきを見顕みあらはさずに。 
   ○ 
安らかに眠らむとして帰り来つるや 
否々夢を、悪夢をば、 
見むとぞ呼ぶ。やがて死ぬらむ。 
   ○ 
恋をする時、死なむとする時 
無くもがなの賢きつむりよ 
烏羽玉の髪覆ひぬれども。 
   ○ 
かかる夕に思ふこと、 
少しことなるものながら、 
哲学と浮きたる恋といづれよからむ。 
   ○ 
ひそかにも火の燃ゆる口われのみぞ知る 
遠方をちかたに居てかの山を見む。 
   ○ 
続けざまに杯あげて酔ひ給へ。 
いとほしの君、 
みじめなる君、 
わが思ふ君。 
   ○ 
ここちよきものならまし。 
悪の醒むるも善よりするも、 
わが目きはめてさはやかならば。 
   ○ 
むかしとは若き日のこと、 
昔にもまさり恋はると、 
云ふことが、心より、 
うれしきや、よろこぶや。 
   ○ 
灰色の壁による人。 
みづいろの玻璃はりの板による。 
金色こんじきの雲による。 
みづからは男によれる。 
   ○ 
檀那をば彼は忘れず、 
肩すぎてブロンドの髪ゆらめきし、 
わざをぎ男目に消えぬごと。 
   ○ 
手さぐりに人心よぢてゆく、 
女の恋のはかなかりけれ。 
かの時より死の友となりけれ。 
   ○ 
眠りたる心をば、呼び起すとて、 
線香花火、青なると、 
うす紫と、くれなゐと、 
ばらばらばつと焚き給ふ君。 
   ○ 
何方いづかたに向きて長ぜむ。 
かく人は眉をひそめぬ。 
わが心今日も昨日も夢のみを見る。 
   ○ 
われは思ひき、毒婦ならまし。 
ある宵にかたへ聞きせる 
不幸なる運命の 
しやうを変へむと、十五より。 
   ○ 
ひとびとが憚らず、 
声放ち歌ふ時、 
君は知れりや、悲しみよりも、 
悦びは少しみにくし。