何となきただ一ひらの雲に見ぬみちびきさとし聖歌(せいか)のにほひ 神にそむきふたたびここに君と見ぬ別れの別れさいへ乱れじ 温室 広き庭の片隅に 物古りたる温室あり、 そこ、かしこ、硝子(ガラス)に亀裂(ひび)入り、 塵と蜘蛛の糸に埋れぬ。 棚の上の鉢の花は皆 何をも分かず枯れたれど、 一鉢の麝香撫子のみ はかなげに花小(ちさ)く咲きぬ。 去年(こぞ)までは花皆が おのが香と温気とに 呼吸(いき)ぐるしきまでに酔ひつゝ、 額(ぬか)重く汗ばみしを、 今、温室は荒れたり、 何処(いづこ)よりか入りけん、 憎げなる虻一つ 昼の光に唸るのみ。