与謝野晶子詩歌集

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柳ぬれし今朝けさかどすぐる文づかひ青貝あをがひずりのその箱ほそき 
 
『いまさらにそは春せまき御胸なり』われ眼をとぢて御手にすがりぬ 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
銀座通りの夜店の 
人込のなかの敷石に、 
盛上がりてねむる赤犬、 
大胆のばけもの、 
無神経のかたまり。 
たれもよけて過ぎ行く。 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
白き綿の玉の如き 
二羽のひよこが 
ぴよぴよと鳴き、 
その小さきくちばしを 
母鶏の口につく。 
母鶏はしどけなく 
ななめにゐざりふし、 
片足を出だして 
ひよこにあまえぬ。 
六月の雨上りの砂 
陽炎かげろふの立ちつゝ。 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
心にはなほ 
肩あげあり、 
前髪、ぬかを掩へど、 
人は見ぬにや、 
知らぬにや、 
心にはなほ 
ゆめをおへども…… 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
五歳いつつになつた末の娘、 
もう乳を欲しがらず、 
抱かれようとも言はぬ。 
辻褄の合はぬお伽噺を 
根ほり葉ほり問ふ。 
ママの膝なんかに用は無い、 
ちやんと一人の席を持つてゐる。