与謝野晶子詩歌集

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神ここに力をわびぬときべにのにほひきようがるめしひの少女をとめ 
 
痩せにたれかひなもる血ぞ猶わかき罪を泣く子と神よ見ますな 
 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
せよ、怖い顔を、 
せよ、みんなでせよ。 
そしておまへ達の宝である 
唯一の劒を大事にせよ。 
 
せよ、賢相かしこさうな顔を、 
せよ、みんなでせよ。 
そしておまへ達の護符である 
てんかこくかを口にせよ。 
おまへ達は決して笑はない。 
おまへ達の望んで居る 
日独同盟の成る日が来るとも、 
どうして神聖サムラヒ族の顔が崩れよう。 
 
おまへ達は科学主義のよろひを着て、 
血のシンボルの旗のもとに、 
おまへ達の祖先である 
南洋食人族の遺訓を行はうとする。 
 
世界人類の愛に憧れる 
われわれ無力の馬鹿者どもは 
みんなおまへ達に殺されねばなるまい、 
おまへ達が初めて笑ふ日のために。 
 
併し…… 
 
 
 
 
 
 
 
  春より夏へ 
 
八重の桜の盛りより 
つつじ、芍薬、藤、牡丹、 
春と夏との入りかはる 
このひと時のめでたさよ。 
 
街ゆく人も、田の人も、 
工場こうばの窓を仰ぐ身も、 
今めづらしく驚くは 
くまなく晴れし瑠璃るりの空。 
 
ひとり立つ木も、打むれて 
幹を出す木も枝毎に 
友禅染の袖を掛け、 
花と若芽と香り合ふ。 
 
せはしき蝶の往来ゆききにも 
抑へかねたる誇りあり、 
ただ一粒の砂さへも 
光と熱に汗ばみぬ。 
 
ましてなさけに生くる人、 
恋はもとより、年頃の 
恨める中も睦み合ひ、 
このひと時に若返る。 
 
ああ、またありや、人の世に 
之に比ぶるき時の。 
いでや短き讃歌ほめうたも 
金泥をもてわれ書かん。