与謝野晶子詩歌集

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手をひたし水は昔にかはらずとさけぶ子の恋われあやぶみぬ 
 
病むわれにその子五つのをととなりつたなの笛をあはれと聞く夜 
 
とおもひてぬひし春着の袖うらにうらみの歌は書かさせますな 
 
かくて果つる我世さびしと泣くは誰ぞしろ桔梗さく伽藍がらんのうらに 
 
 
 
 
 
 
  来客 
 
彼れは感歎家にして慷慨家、 
形容詞ばかりで生きてゐる。 
また他の一人の彼れは計画家、 
建築の経験を持たない製図師。 
忙しい師走の半ばに 
二人のお相手は出来ない、 
わたしは失礼して為事をする。 
お客同志でゆつくり[#「ゆつくり」に傍点]とお話し下さい。 
 
 
 
 
 
 
 
  暖炉 
 
灯をつけない深夜の室に、 
燃え残つたストオヴが深紅に光る。 
ストオヴは黙つてゐる。 
それを自分の心臓だと見るわたしは 
炭をつぎ[#「つぎ」に傍点]足さうかと思ふ。 
いや、誰れが手をぬくめる火でもない、 
独り此の寂しい深紅を守らう。 
 
 
 
 
 
 
 
  或人に 
 
わたしには問はないで下さい、 
「あなたの心の故郷ふるさとは」なんて 
クリスチヤンじみたことを。 
誰れが故郷を持つてゐると云ふのです。 
みんな漂泊者である日に、 
みんな新世界を探してゐる日に、 
過去から離れて、みんな 
蒙昧を開拓しようとしてゐる日に。 
それよりも見せて下さい、 
あなたに鶴嘴を上げる力があるか、 
一尺の灌漑用の水でも 
あなたの足元の沙から出るか。 
 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
ちび筆に線を引きて 
半紙に木瓜の枝を写生し、 
赤インクにて花をく。 
末の娘、見て笑ふ、 
母の木瓜には刺無し。 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
同じ免官者でも 
急に言葉が荒くなり、 
知事や将校は便衣隊に見える。 
校長たちの気の毒さ、 
番茶で棋を打つてゐる。