与謝野晶子詩歌集

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わかき子が髪のしづくの草に凝りて蝶とうまれしここ春の国 
 
結願けちぐわんのゆふべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ 
 
 
 
 
 
 
 
  九段坂の涼夜 
 
九段の坂の上に来て、 
大東京の中央に 
高く立つこそ涼しけれ。 
 
まして今宵の大空は 
秋にも通ふ色をして、 
濃いお納戸なんど繻子しゆすを張り、 
 
しとどに置ける露のごと、 
星みな白くまたたくは、 
空にも風のそよぐらん。 
 
見下ろす街は近きより 
遠きへかけて奥のある 
墨と浅葱あさぎを盛り重ね、 
 
飾りとしたる灯の色は 
濡れたるきんに交へたり、 
紅き瑪瑙とエメラルド。 
 
ここにて聴けば、輪の軋り、 
汽笛の叫び、それもまた 
喜び狂ふ楽となり、 
 
今宵の街を満たすもの、 
行き交ふ袖も、私語ささめきも、 
すべて祭の姿なり。 
 
かかる心地に、我れ曾て 
モンマルトルの高きより 
宵の巴里パリイを眺めけり。 
 
おなじ心地に、今宵また 
明るき御代の我が都 
大東京を観ることよ。 
 
いとま無き身に唯だ暫し、 
九段の坂の上に来て 
高く立つこそ涼しけれ。