与謝野晶子詩歌集

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月こよひいたみの眉はてらさざるに琵琶だく人の年とひますな 
 
恋をわれもろしと知りぬ別れかねおさへし袂風の吹きし時 
 
 
 
 
 
 
 
  空しき客席 
 
観客となり君が居る、 
舞台であれば独白の、 
長い台詞せりふは云へませう。 
どんな身振りも出来ませう。 
 
重き病の悲みも、 
訴へるよな、云ふやうな、 
時と所を持たざれば、 
感じぬことと変りなし。 
 
たつた一句の捨台詞 
わが引込みに云ふことも 
無駄な舞台の上に描く、 
黒い小さい疑問符を。 
 
 
 
 
 
 
 
  強き友 
 
海を渡らん我が友へ、 
別れを述べに行きし時、 
客室サロンの椅子をいと熱き、 
涙に我れの濡らしてき。 
 
老いたる寡婦の悲みが、 
別離の情に誘はれし、 
不覚の態と恥ぢたりき、 
友の客室の我が涙。 
 
死ぬはしたることなれば、 
重い病になりしとて、 
強き心の我が友を、 
殊更思ふこともなし。 
 
世のもてなしの礼なさが、 
あらはになりて見えし時、 
病に障りあらすなと、 
惑へる子等を我れは見ぬ。 
 
一年ひととせまへの真夏の日、 
旅立つ友に流したる、 
涙のこころやうやくに、 
悟るを得たり、わが友よ。