与謝野晶子詩歌集

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さちおはせ羽やはらかき鳩とらへ罪ただしたる高き君たち 
 
打ちますにしろがねの鞭うつくしき愚かよ泣くか名にうときひつじ 
 
 
 
 
 
 
 
  鵯 
 
藍鼠をば著た上に、 
伊達ものめいた黒を掛け、 
党を組んだるひよどりが、 
柑橘の畑荒しても、 
追はぬ主人あるじ故郷ふるさとの、 
若人達を相手にて、 
一葉余さず落葉掃く、 
蓬がひらの真珠庵。 
 
折しも続く東海の、 
錦の雲の真中に、 
ネエブル色の日が出れば、 
伊太利亜型のひよどりは、 
蜜柑の枝に背を反らし、 
其処へ行かうと同志等に、 
ささやく声もうち消して、 
どつと渚の波が寄る。 
 
 
 
 
 
 
 

  死 
 
Aさんの死、 
そんなことがと云ひながらも、 
否定の出来ない事実であるのを 
弁へる心も私は持つてゐた。 
人間はいつもこんな風に 
運命を従順に受け入れる。 
受け入れる外はないからである。 
だから死は恐い。 
最後の偽善をしようとせぬ限り、 
誰れにも恐しくない死はない。 
哲人もさうである、 
大作家も詩人も、 
大僧正も。 
Aさんが壇から下り、 
急に倒れた時と、 
死との間の短い時に 
どんな恐しい思ひをしたことか。 
死刑前の五分間の長さを、 
或る作家は書いてゐる、 
短くば短い程、 
死を待つ心の苦は長い。 
Aさんを悲んで、 
死の真際などに語ればさうした、 
ことはどうでもよかつた、 
と云はれるやうな思ひ出に、 
Aさんでなく、生きてゐる私は、 
飽くなく浸つてゐる。 
Aさんは五十四ではてた。 
Nさんと同じ頃、 
紅梅町へ来た人である、 
Nさんは五十二で去年逝つた。 
若さそのもののやうな人、 
私はのちのAさんの面影よりも 
裄の短い単衣の下に白襟を重ね、 
木綿袴を穿いた、よぼろの年の 
Aさんばかりを目に描いてゐる。 
葬式の日に私はまた病んで 
娘を代りに出した。 
藤子が葬場で聞いて来たことは、 
Aさんの死の何時間かまへ、 
お茶の卓で他の社員へ托した、 
私へのことづてであつた。 
身体を大事にして欲しい、 
無理を決してせぬことなど、 
それから私には今子の誰れが 
かしづいてゐるか、 
ともAさんは問つたさうである。 
その社員は私の隣人であつた。 
涙が幾日も流れた、幾日も。 
Aさんが云つたやうに、 
養生をすべきであらうか、 
とばかりも私には思へない、 
死は恐いと云つたのであるが。 
 
 
 
 
 
 
 

  〔無題〕 
 
都の中の神田にも、 
丑三つ時のあることを、 
病みて知れるにあらねども、 
声の無きこそ哀れなれ。 
 
しとどの汗のうちに覚め、 
そこはかとなく明りさす 
室の広きを見渡せば、 
昼の二三の顔浮ぶ。 
 
病めば思ひも多からで、 
同じ筋のみたどられぬ。 
生死しやうじの覚悟身に沁まず、 
我がこととなくよそよそし。 
 
小床と向ふ垂幕に、 
伊豆の入江の烏賊船の、 
いさり火模様描くものは、 
下谷浅草本所の火。 
 
短夜なれば既にして、 
外を通へる風の音、 
明けんあしたに関心を、 
もち初めしよと我れは聞く。