ハルツ山中。シイルケ、エエレンド附近。
ファウスト、メフィストフェレス登場。
メフィストフェレス
どうです。箒の柄どもが欲しくなりはしませんか。
わたしも極丈夫な
この道をまだよほど歩かなくてはなりませんからな。
ファウスト
己は足の
この
道を縮めたって、なんになるものか。
谷合の曲りくねった道を辿って来て、
不断の泉の
この岩に
こう云う道を歩く人には、薬味のように利くのだ。
もう春が白樺の梢に色糸を
樅でさえ春の来たのに気が附いたらしい。
己達のこの手足にも利目が見えて来そうなものだが。
メフィストフェレス
わたしなんぞはちっとも感じませんなあ。
この体はまだ冬らしい心持がしています。
わたしの歩く所には雪や氷があれば好いと思うのです。
どうです。あの光の薄い、欠けた、
赤い月が
照しようをするので、一足毎に
木や石に躓きそうでなりません。
お
旨く燃えている奴が、あそこに一ついます。
こら。友達。己の方へ来て貰おうか。
何も無駄に燃えていなくったって好いじゃないか。
どうだい。頼むから、あっちへ登る案内をしないか。
鬼火
檀那が仰ゃるのですから、ひょこひょこする性分を
なるたけ直して遣って見ましょう。
でも稲妻
メフィストフェレス
いやはや。それは人間の真似の
一つ奮発して真っ直に行って貰おう。
そうしないと、その命の火を吹き消して遣るぞ。
鬼火
大ぶ檀那
それは仰ゃるとおりにいたして見ますが、
一寸お断申して置かなくては。何分きょうは
気の違ったようになっているのに、鬼火の御案内では、
少しの事は大目に見て戴かなくてはなりますまい。
ファウスト、メフィストフェレス、鬼火(交互に歌ふ歌。)
夢の中、
われ等入りぬと覚ゆ。
善く導きて、名をな
さらばこの広き
われ等
森の木々の
うしろざまに走り過ぐ。
おなじさまに走り過ぐ。
石を
広き川、狭き川流れ落つ。
聞ゆるは
優しき恋の
あはれわれ等、何をか願ひ、何をか恋ふる。
さて過ぎぬる世の物語と
わしみみづくの声近づきぬ。
ふくろふ、たげり、かけす等も、
皆いまだ眠らでありや。
おどろが
出づる木の根は、蛇の
怪しげなる帯を引きて、
われ等を怖れしめ、捉へんとす。
こは生きて動ける大いなる
道行く人を遮らんと、さし伸ぶる
毛の色ちゞに変れるが、群なして
苔の上、小草の上を馳す。
群毎にひたと寄りこぞりて
飛び行く蛍は、
人迷はせの導きせんとす。
はた
物皆
みる/\殖え、みる/\ふくらむ
あまたの鬼火も。
メフィストフェレス
わたしの上著の裾を
ここが中の峠と云うような所で、
山の中で地の底の
驚くほど好く見えますよ。
ファウスト
あの谷底が、朝日の升る前のような、
濁った光に照っているのが不思議だなあ。
しかもその光が底の、底の
深い穴までさし込んでいる。
蒸気のすぐに立つ所も、棚引いている所もある。
その火が糸のように細く這って行くかと思うと、
幾百条の脈の網のように、あの谷の
広い間を
この
忽ち離れて一つになっている。
そこにはまた近い所に、
振り
だがあれを見給え。あの岩壁は一面に、
下から上まで燃えているじゃないか。
メフィストフェレス
埋もれている
御殿の中へ立派に明を附けたのでしょう。
お目にとまったのは、あなたのお
這入りたがる客の多いのが、わたしには分かるようだ。
ファウスト
どうだ、この気の狂ったように空を吹いて通る風は。
己の
メフィストフェレス
そこの
あなた谷底へ吹き落されてしまいますぜ。
霧が立って夜闇の色を濃くして来た。
あの森の木のめきめき云うのをお
お
柱が砕けているのです。
枝がきいきい云って折れる。
幹はどうどうと大きい音をさせる。
根はぎゅうぎゅうごうごう云う。
上を下へとこんがらかって、
みんな折れて倒れるのです。
そしてその屍で掩われている谷の上を
風はひゅうひゅうと吹いて通っています。
あなた、あの高い所と、
遠い所と、近い所とにする声が聞えますか。
この山を揺り
おそろしい魔法の歌が響いていますね。
合唱する魔女等
ブロッケンの山へ魔女が行く。
苗は緑に、刈株黄いろ。
おお勢そこに寄って来る。
ウリアン様が辻にいる。
木の根、岩角越えて行く。
魔女は□をこく。
声
バウボ婆あさんがひとりで来ましたね。
合唱者
人柄次第で崇めにゃなるまい。
バウボのおば御に
大きな豕だよ。お負に身持だ。
ぞろぞろ跡から附いて
声
お前、どの道を来たのだえ。
声
イルゼンスタインを越して来た。
通り掛かりに梟の巣の中を覗いて見たら、
大きな目玉をしていたよ。
声
人を馬鹿におしでない。
なんだってそんなに急ぐの。
声
わたし爪で引っ掻かれてよ。
それこの
合唱する魔女等
道は遠いが広さも広い。
おし合いへし合いせいでも
熊手が
赤子は
男の魔。半数合唱
こっちは
女はお先へ御免と出掛ける。
悪魔の所へ見まいに
いつでも女が
他の半数
それにはこっちは格別構わぬ。
女が小股に
勝手に急げと、はたから見ていて、
一
声(上にて。)
おいでよう。岩淵からもおいでよう。
声々(下より。)
わたし達も上がって
水を浴び通しで、体はこんなに綺麗なの。
だが赤ん
双方の合唱者
風は吹き息む。星奴は逃げ出す。
兎角曇った月奴は隠れる。
魔法の
虚空に数千の火花が飛び散る。
声(下より。)
おうい。待ってくれ。
声(上より。)
岩の割目から呼ぶのは誰だい。
声(下より。)
己を連れて行ってくれ。連れて行ってくれ。
己はもう三百年掛かって登っているのだが、
どうしても峠に
仲間と一しょになりたいがなあ。
双方の合唱者
杖も載せるし、帚も載せる。
山羊も載せるし、熊手も載せる。
今夜上がられないのなら、
浮む瀬のない男だぞ。
半成魔女(下より。)
わたしちょこちょこ追っ掛けるのが、もう久しい事なの。
皆さんもうあんな遠い所を
内にいては気が済まないし、
来ても仲間には這入られないのだもの。
合唱する魔女等
どんな
あり合う
きょう飛ばないなら、飛ぶ日はないぞよ。
双方の合唱者
こっちが峠を廻って飛ぶ時、
勝手に地びたをいざってまごつけ。
見渡す限の草原に
今来てひろがる魔女の群。
(皆々降りて
メフィストフェレス
押し合ったりへし合ったり、すべったり、がたついたり、
しゅっしゅと云ったり、廻ったり、引っ張ったり、しゃべったり、
光ったり、火を吹いたり、燃えたり、臭い物を出したり、
これがほんとの魔女の世界だ。
ぴったり附いておいでなさい。すぐはぐれますよ。
どこです。
ファウスト
ここだ。
メフィストフェレス(遠方にて。)
もうそこまで押されたのですか。
ちっと檀那
おい。通せ。ウォオランド様だぞ。通せ。好い子だ。通せ。
さあ先生、お攫まりなさい。そこで一飛に
この
わたしなぞでさえ辟易しますよ。
あそこになんだか妙な色に光っていますね。
あの小さい木の茂った所へ行って見たいのです。
さあ、おいでなさい。ここを抜けて行きましょう。
ファウスト
だが随分気の利いた遣方だと思うよ。
ワルプルギスの晩にブロッケン山へ来て、
勝手にこんな方角へ避けてしまうと云うのは。
メフィストフェレス
まあ、御覧なさい。いろんな色の火が燃えています。
面白そうな集会を遣っています。
人数は少くても、一人ぼっちになるのではありません。
ファウスト
しかし己はあの上の方へ
もう火や渦巻く烟が見えている。
今おお勢が悪魔の所へ寄る時なのだ。
あそこへ行ったら、いろんな疑問が解けそうだ。
メフィストフェレス
ところがまた新しい疑問も結ぼれて来るのです。
まあ、おお勢はあっちでがやがや云わせて置いて、
御一しょにこっちの静かな所にいるとしましょう。
大世界の中に、幾つも小世界を拵えるのが、
昔からの習わしですからね。
そこに若い魔女が真っ裸になっていて、
年を取ったのが巧者に体を包んでいるでしょう。
まあ、
労少くして功多しと云う奴です。
おや。何か
さあ、おいでなさい、おいでなさい。外に
わたしが連れて行って、仲間入をさせて、
新しい縁を結ばせて上げます。
どうです。なかなか狭い
あっちを御覧なさい。どこまで続いているか知れません。
百箇所も火が並んで燃えています。
踊を踊る、しゃべくる、物を煮る、酒を飲む、色をする、
考えて御覧なさい、どこにもこれより
ファウスト
そこで己を引き合せるには、
君は魔法使とか悪魔とかになって見せるのかい。
メフィストフェレス
それはわたしは不断微行が
勲章のと違って、
蹄のある馬の足はここではもてます。
あの
わたしが只の奴でないのを、あの触角の尖の目で
もう嗅ぎ附けやがったのですね。
どうもここでは隠れていようと思っても駄目ですね。
さあ、おいでなさい。
わたしが媒で、あなたが壻さんだ。
(消え掛かる炭火を囲める数人に。)
どうです、御老人
ちっときばって真ん中の方へ出て、若い奴等の
飲んで騒ぐ仲間にお這入なされば好いに。ぼんやり
寂しくしていることは内ででも出来ますからね。
将軍
まあ、どこの国でどれだけの功があっても、
国民に依頼していることは出来ないな。
民心と云うものも女の心と同じ事で、
兎角年の若い奴を
宰相
此頃は輿論が大ぶ保守から遠ざかっているが、
己なんぞはやっぱり老成者の身方だ。
己達が無条件に信任せられていた時代が、
兎に角真の黄金時代だったて。
暴富家
わたしどももぼんやりしてはいないから、
随分して悪い事をしたこともありまさあ。
ところが丁度我々が逆に取って順に守ろうと
思う頃になって、世間が丸でわやになりました。
著作家
もう昨今かなり気の利いた事の書いてある
本が出ても、誰も読むものはありません。
青年どもが此頃のように
先ず古来無かっただろうと思いますね。
メフィストフェレス
(
さようさ。わたくしもブロッケンへお暇乞に登りましたが、
もう世は
なんでも内の酒が樽底になって来ると、
世の中も
古道具を売る魔女
どなたもそうさっさとお
買物は
品物を好く御覧なさいまし。
ここにいろんな物がございます。
そのくせ世間に類のある品や、
人間のため、天下のために、
一度も大した禍をしたことのない品は、
一つだってありませんよ。
血を流したことのないような
大丈夫でいた体へ、命を取る、熱い毒を
注ぎ込んだことのないような杯もございません。
身方を殺すとか、敵を暗打にするとか云う時、
用に立たなかった
メフィストフェレス
おい。おばさん。お前さんは時代が分からないのだ。
出来たことは出来たのだ。した事はしたのだ。
なんでも
新ものでなくては、こっちとらは買わない。
ファウスト
どうも自分で自分が分からなくならねば好いが。
己達は市にでも来ているのかなあ。
メフィストフェレス
この渦巻いている群集が皆升りたがって押すのだから、
あなた人を押す
ファウスト
そいつは誰だい。
メフィストフェレス
好く御覧なさい。
リリットです。
ファウスト
誰だと。
メフィストフェレス
アダムの先妻です。
あの綺麗な髪と、自慢そうに附けている、
あの、たった一つの飾とに、気をお著けなさいよ。
あれを餌にして若い男を攫まえようものなら、
めったに放しっこはありませんからね。
ファウスト
あれ、あそこに婆あさんと娘とが据わっているが、
あいつらはもう大ぶ踊り
メフィストフェレス
なに。きょうは草臥れなんかしませんよ。
また踊る気でいまさあ。おいでなさい。踊らせましょう。
ファウスト(娘と踊りつゝ。)
いつか
一本林檎の木があった。
むっちり光った
ほしさに登って行って見た。
美人
そりゃ天国の昔から
こなさん
わたしの庭にもなっている。
メフィストフェレス(老婆と。)
いつだかこわい夢を見た。
そこには割れた木があった。
その木に□□□□□□があった。
□□□□けれども気に入った。
老婆
足に蹄のある
踊るは冥加になりまする。
□□がおいやでないならば
□□の用意をなさりませ。
咀われたやつ
幽霊には決して立派な脚があってはならんと、
学者が
我々
美人(踊りつゝ。)
あの
ファウスト(踊りつゝ。)
あれかい。あれはどこへでも来る奴だ。
人が踊れば、それに
あれが
踏んでも踏まなかったと同じ事なのだ、
前の
あいつの内の水車で粉をひくように、
一つ所を踊って廻っていると、
まあ、かなり気に入るのだ。
なんとか言われた礼を云って遣れば猶更だが。
臀見鬼人
おや。まだ平気で遣っているな、
消えてしまえ。人智
悪魔の同類奴。物に法則があるのを知らんか。
こんなに世が開けたのに、テエゲルにはお
己の帚で迷信の塵をいつまで払き出せば好いのだ。
綺麗になる時はないのか。怪しからん。
美人
そんな事を言ってわたし達をうるさがらせちゃいや。
臀見鬼人
なに。己は貴様達化物共に面と向かって言うぞ。
化物の圧制を受けて溜まるものか。
はてな。己の力で取締まることは出来んかしらん。
(踊る人に押し除けらる。)
この様子ではきょう己は成功しないな。
兎に角
己が最後の一歩をするまでには、悪魔も
詩人も退治して遣るようにしたいものだ。
メフィストフェレス
今に、あいつ、水たまりに尻餅を
そうして気持を直すのが、あいつの流義です。
蛭が尻っぺたに
あいつは悪魔の祟も智恵の病も直るのです。
(踊の群と離れたるファウストに。)
踊りながらあんな可哀い声で歌っていた、
あの娘をなぜ放してしまったのですか。
ファウスト
でも踊っている最中に、あいつの口から
赤い鼠が飛び出したものだから。
メフィストフェレス
そう云う奴でしたか。そんな事を気にしてはいけません。
鼠色の鼠でなけりゃあ結構じゃありませんか。
二人で楽んでいながら、そんな
ファウスト
それにちょいと目に附いたものが。
メフィストフェレス
なんです。
ファウスト
あれ、あそこに
美しい、色の蒼い娘が一人離れているだろう。
歩くにひどく手間の取れるのを見ると、
本当の事を言えば、どうもあれが
可哀いグレエトヘンに似ているようだがな。
メフィストフェレス
打ち遣ってお
あれはまやかしです。影です。生きていやしません。
あいつに出くわしては溜まりません。
それ。メズザの話をお
あのじっと見ている目で見られると、人の血が
凝り固まってしまって、人が石になるのです。
ファウスト
そうさな。なるほどあの目は、死んだ時親類が
あの胸は己に押し附けたグレエトヘンの胸で、
あの体は己を楽ませてくれたあれが体だ。
メフィストフェレス
それがまやかしです。そんなにすぐ騙されては困ります。
誰の目にもその人の色のように見えるのです。
ファウスト
でも己は嬉しいようなせつないような気がして、
あの目を見ずにいることは出来ないのだ。
それに妙なのはあの美しい頸の頸飾だな。
小刀のみねより広くないような、
赤い紐が一本巻いてあるなあ。
メフィストフェレス
そうです。わたしにも見えています。
ペルセウスに切られた首ですから、
肩から卸して手に持つことも出来ます。
そういつも物に迷わされたくては困ります。まあ、
この岡の
ちゃんと芝居まで出来ている。
おい。何を遣っている。
口上いい
へえ。すぐ跡の
新作です。七つ出す内の七つ目です。
その位の数を出すのが、この土地の風でしてね。
これは作者もしろうとで、
役々もしろうとがせられます。
失礼ですが、ちょいと御免を蒙ります。
幕を開けなくちゃなりませんから。
メフィストフェレス
お前がたにこのブロッケンで出くわしたのは
至極好い。ここがお前