ゲーテ ファウスト

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隣接せる多き、広々としたる座敷、仮
装舞踏を催さんがために装飾を尽せり。

  
 
    先触
皆様。ドイツの境の内にいると思ってはいけません。
 
悪魔踊に阿房踊、また髑髏踊なんぞのある、
面白いおなぐさみが始まります。
殿様はロオマ征伐に御いでになって、
国のため、またあなた方のお慰のために、
高いアルピの山をおこえになって、
 
晴やかな土地をお手に入れなさいました。
殿様は先ず難有ありがたい上沓の裏に御接吻なさって、
御威勢の本になる権利をおうけになって、
それからお冠を貰いにおいでになったとき、
一しょに坊様の帽子をも持っておかえりになった。
 
そこでみんなが生れ変ったようになった。
誰でも世渡上手なものは、その帽子を
頭から頸まですっぽり被る。
すると見掛みかけは気の違った阿房のようで、
その帽子の蔭では、どんなにえらくでも
 
なっていられる。あれ、もうそこらに寄って、
浮足をして分れたり、睦ましげに組んだり、
群の跡に群が続いて来るのが見えます。
機嫌を悪くしないで、出たり這入ったりなさい。
何をしたところで、せぬ前もした後も同じ事、
 
百千の馬鹿げた事を包んでいるこの世界は
一人ひとりの大きな馬鹿ものに相違ありませぬ。 
 
    庭作の女等

(マンドラの伴奏にて歌ふ。)

われ等若きフィレンチェの女等おみならは、
君達に愛ではやされむと、
今宵皆粧ひて、ドイツの宮居の
 
御栄を追ひて来ぬ。
 
この褐色かちいろの渦巻ける髪を
くさ/″\の晴やかなる花もて飾れり。
さて絹の糸、絹のわた、おのがじし
美しさを助くる料となれり。
 
 
なぞとや仰する。われ等はそをいさおありとし、
褒めます値ありと思へり。
わら等が造りなせる、このかゞやく花は
四つの時絶間なく咲き※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)におへり。
 
いろ/\に染めたる紙の小切こぎれ
 
向き合ひて所を得させたれば、
一つ/″\をば笑止とも見たまはむ。
すべてには心引かれ給ふべし。
 
われ等庭作の女等おみなら
愛でたく、人懐かしげには見えずや。
 
なぞとや仰する。女子おみなこの生れながらの
さま見れば、手わざに似たれば。 
 
    先触
その頭の上に載せている籠や、手から
五色を食み出させて提げている籠に
盛り上げてある豊かな品物を見せるがい。
 
そして皆さんが気に入ったのを取りなさるが好い。
皆が取って、急いでこの仮屋の道を
花園に紛れるようになさるが好い。
売手も品物も、賑やかに
取り巻いておやりなさるだけの値打はあります。
  
 
    庭作の女等
さあ、お値段をおつけなさいまし。
ですけれど、市場の商ではございませんよ。
とりになる花一つごとに、それがなんの
花だと云う、面白いことばを添えて上げます。 
 
    実れる月桂の枝
わたくしはどんな花でも妬みませぬ。
 
なんの喧嘩も避けまする。
それは性に合わないからでございます。
その性と申すのは、もと野山の魂で、
間違のどうしても出来ないように、
その土地々々のむつみの印になっています。
 
どうぞきょうのお祭には、似つかわしい、美しい
髪に載せておもらい申しとうございます。 
 
    穂の飾(黄金色。)
あなた方をおかざり申す、このケレスの賜は
さぞ優しげに、愛らしくお似合なさいましょう。
用に立つので、一番願わしいこれが、
 
あなた方のお飾としては美しゅうございましょう。 
 
    意匠の輪飾
苔の中から咲かせてある、あおいのような、
はでな花は不思議なではありませんか。
自然には常に無い物をも、
流行は生み出します。
  
 
    意匠の花束
わたくしに名を附けることは、植物にお精しい
テオフラストさんも御遠慮なさいましょう。
ですけれど、皆さんのお気に入らないまでも、
どなたかには好かれようかと存じます。
そうした方のお目に留まりとうございます。
 
どうぞ髪にお編み込み下さいまし。
どうぞわたくしがお胸の中に
所を得ますようにおきめ下さいまし。 
 
    勧誘の詞
その日その日の流行に
意匠の花は咲くがい。
 
自然にかつて無いような、
不思議な姿をするがい。
茎は緑に、弔鐘形つりがねがたの花黄金色こがねいろ
それが豊かな髪の中から見えるがい。
ですけれど、わたくしども 
 
    薔薇の莟 
 
            は隠れています。
 
それをちょっとお見附みつけなさる方はお為合しあわせです。
 
夏のおとないが知れて、
薔薇のつぼみに火が附く時、この為合しあわせ
なくていとは、どなたも仰ゃりますまい。
誓いますこと、またそれを果しますことが、
 
花の国では一様に
目をも胸をも魂をも支配するのでございます。

(仮屋の屋根の下なる緑の道にて、庭作の女等美しく品物を飾り立つ。)

    庭作等

(テオルベの伴奏にて歌ふ。)

見給え。花は静かに生い出でて、
美しく君達の髪を飾るを。
木実このみは誘うものならず。
 
ただ味いて楽み給え。
 
桜の実、山桃さんとうの実、大いなるすももの実、
褐色かちいろの顔を見せたり。
ただ召せ。※(「月+咢」、第3水準1-90-51)あぎとと舌とにあらぬ目は
え堪えじ、よしあし定むるつかさたるに。
 
 
来ませ。楽みて、味いて、もとも好く
みたる木実このみうべに。
薔薇そうびをこそ詩にも作れ
林檎をばまでやわ。
 
おん身等のその豊かなる若き群に、
 
われ等の伴うを許せ。
隣にて、このみたる木実の
さわなるを、われ等も積み飾らん。
 
飾りたる仮屋の隅に、
面白き編物の下に、
 
あらゆる物皆備れり。
芽あり、葉あり、花あり、実あり。

(ギタルラとテオルベの伴奏にて、かたみがはりに歌ひかはす歌と共に、二つの群は貨物を段々に高く積み飾り、客を待つ。)

 

母と娘と。

    母
嬢や。お前が生れた時ね、
帽子を被せて遣りましたが、
顔はほんとに可哀くて
 
体はほんとにきゃしゃでしたよ。
その時もうお婿さんがまったように、
大したお金のある内へ行くことになったように、
もうおよめさんになったように思いましたよ。
 
それにもう何年か
 
無駄に過ぎましたね。
もらいになりそうな、いろいろな方々が
ずんずん通り過ぎておしまいなさった。
あるお方とはすばしこくおおどりだったし、
あるお方には目立たない相図を
 
肘でおしだったね。
 
いろいろなもよおしもあったけれど
これまで駄目であったのだよ。
質のあそびも鬼ごっこも、
皆役には立たなかったのだよ。
 
きょうは皆さんが阿房になっておいでになるから、
お前襟をけていて御覧。どなたか
取止とりとめ申すことが出来るかも知れぬからね。

(若き、美しき女友達来てこれに加はり、親しげなる会話聞えはじむ。漁者と鳥さしと数人、網、釣竿、黐竿もちざお、その他の道具を持ちて登場し、少女等の間に交る。此等互に相挑み、相捉へ、逃れんとし、留めんとし、その動作極めて快き会話の機会を生ず。)

  
 
    樵者

粗笨そほんに、躁急に登場。)

けた。避けた。
場所がいるのだ。
 
わたしどもは木を伐るのだ。
その木はめりめり云って倒れる。
それをかついで行くときは、
そこらじゅうへ衝き当たる。
自分の手柄を言うようだが、
 
これだけは御合点を願いたい。
荒っぽい奴も
土地で働かんでは、
どんなに智慧を出したって、
上品な人ばっかりが
 
どうして立ち行きましょうぞ。
御合点の願いたいのはここだ。
こっちとらが汗を掻かなんだら、
あなた方は凍えましょう。 
 
    道化方

(手づつに、ほとんどをさなく。)

あなた方は馬鹿だ。
 
腰を屈めて生れなすった。
わたしどもは利口だ。
重荷を背負しょったことはない。
鳥打帽子も
ジャケツも襤褸著ぼろぎ
 
身軽な支度だ。
わたしどもは気持好く、
いつもなまけて、
上沓ばきで、
市場へも人込へも
 
駆け込んで、
物見高く立ち止まって、
お互にどなり合います。
さてその声が聞えると、
どんなに人が籠んだ中でも、
 
鰻のように摩り脱けて、
一しょになって跳ね廻り、
一しょになってあばれます。
ほめなさっても、
悪口を仰ゃっても、
 
御尤ごもっともだと申します。 
 
    寄生虫

へつらふ如く、物欲しげに。)

お前方、元気な、真木まき背負しょった男や、
御親類の
炭焼の男は
こっちの用に立つ人達だ。
 
全体腰を曲げたり、
竪にかぶりを振ったり、
紆余曲折の文句を言ったり、
人の感じよう次第で
暖めもましもする
 
二重の息をき掛けたりする
こんな面倒がなんになると思う。
それは天からだって
大した火が
来ることもあるだろうが、
 
へっついの広さだけ
かっかと燃え立たせる
真木や炭の荷が
なくては済まぬ。
そこでけている。沸いている。
 
えている。渦巻いている。
ほんとに味の分かる男は、
皿までもめる男は
燔ける肉を嗅ぎ附ける。
肴のあるのを見ずに知る。
 
そこでお出入先の食卓で
手柄をする気が出て来るのだ。 
 
    酔人

(正気を失ひゐる。)

どうぞきょう己達にあらがってくれるな。
なんだか自由自在な心持がしているのだ。
涼しい風や気の晴れる歌も
 
己達が持って来て遣ったのだ。
そこで己は飲むよ。飲むよ。飲むよ。
杯を一つっ附けよう。ちりん。ちりん。
おい。そこの背後うしろにいる先生。ておいで。
ちりんと遣るのだ。それでい。
 
 
かかあ奴がおこってどなって、
立派な上衣を皺にしおった。
どんなにこっちで息張いばっても、仮装の衣裳を
掛けて置く台だと云って冷かしおった。
それでも己は飲むよ。飲むよ。飲むよ。
 
っ附けて鳴らして見よう。ちりん。ちりん。
衣裳の台の仲間同士で杯をっ附けよう。
音がしたなら、それでい。
 
己が迷子まいごになっているのだなんぞと云うなよ。
己は己の気持のい所にいるのだ。
 
亭主が貸さないと云やあ、上さんが貸さあ。
どっちもいけなくなったって、女中だって貸さあ。
いつだって己は飲むよ。飲むよ。飲むよ。
一しょに飲め、飲め。ちりん。ちりん。
順送じゅんおくりっ附けよう。ずっと先まで。
 
皆遣ってくれるぞ。それで好いようだ。
 
どうして、どこで己が楽んだって、
そうさせてくれて好いじゃないか。
どうぞ己の寝た所に寝させて置いてくれ。
もうそろそろ立っているのがいやになって来る。
  
 
    合唱する群
誰も彼も飲め、飲め。さあ、頼むよ、
ちりん、ちりんの演説を。
腰掛の木のきれに、しっかり腰を据えていろ。
机の下へころがった男はそれでおしまいだ。

先触種々の詩人等を紹介す。自然詩人、宮廷詩人、騎士詩人、温柔詩人、感奮詩人あり。皆自ら薦むるに急にして押し合ひ、一人も朗読の機会を得ずしてむ。一人ありて短き句を唱へて、抜足しつゝ過ぎ去る。

  
 
    諷刺
こころより詩人わが
 
喜ばむことを君知るや。
一人だに聞くことを
願はぬ詞を歌はしめよ。

(夜の詩人と冢穴つかあなの詩人とはことわりの使をおこせたり。そは屍の血を吸ふワムピイルのわずかに墓中より出でたるに会ひて、興ある対話をなす最中なるが故なり。この対話にもとづきて、あるいは詩の一新体の発展し来らむも知るべからずとなり。先触已むことを得ず、このことわりを認容して、さて希臘ギリシア神話を呼び出せり。今様の仮面を被りたれど、希臘神話はその特性をも興味をも損ふことなし。)

なさけの三女神グラチエ。

    はえの神アグライア
人の世に優しさをわれはもたらす。
優しさを物贈る手に籠め給へ。
  
 
    引率る神ヘゲモネ
優しさを物受くる手に籠め給へ。
願ふこと※(「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56)かなへるはめでたからずや。 
 
    たのしみの神エウフロシネ
たいらかにあらん日の限、
いや申すにも優しかれ。

運命の三女神パルチェエ

    くべからざる神アトロポス
もとも老いたるわれ、こたび
 
糸引く人に傭はれぬ。
細き命の糸引けば、
物思ふこと多きかな。
 
しなやかなるが得まほしく、
いと善き麻をわれりぬ。
 
筋筋善く揃ひ、すべり好かれと、
さかしきおよびもて、われ縒りぬ。
 
うたげにまれ、踊にまれ、
その矩を越えむとき、
糸の限を思へかし。
 
心せよ、切れやせむ。 
 
    糸縒る神クロト
汝達なれたち知れりや。きのふけふ
剪刀はさみは我手にわたされぬ。
そは老人おいびとの振舞に
飽かぬ節々あればなり。
 
 
何の甲斐あらじと思ふ幾筋を、
風のむた、照る日のもとに、曳きへぬ。
得ることのさはにあるべき望の糸を、
断ち切りて奥津城おくつきの底深く墜しつ。
 
されどわが若きすさびもしどけなく、
 
あやまちて断ちし糸百筋ありき。
いちはやきこの手をけふは控へんと、
剪刀をば嚢に入れてわれてり。
 
かくてわれいましめに安んじをりて、
このにわをあはれみの目もて見わたす。
 
ゆるされたる日汝達は
戯れ遊べ、いつまでも。 
 
    糸分くる女ラヘシス
心得て過たぬわれひとり
筋々のついでするわざを守れり。
つねに醒めたるわれならば、
 
慌ただしさのとがはなし。
 
来る糸を※(「竹かんむり/瞿/又」、第4水準2-83-82)わくに巻き
それ/″\の道に遣る。
一筋もれさせじ。
輪のなりに寄りてよ。
 
 
われ一日ひとひ心ゆるさば、いかにかは
なりぬべき、心もとなき世の中は。
われ日を計り、年を計りて、
服部はとり手に取る糸一つかね。 
 
    先触
皆さん、どんなに古い書物にお精しくても、
 
こん度来るものはお分かりになりますまい。
随分悪い事をしでかす女共ではありますが、
御覧になるには、好いお客様でございましょう。
 
怒の女神めがみでございます。※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)だとおおもいなさるでしょう。
愛らしくて恰好が好くて優しくて年が若い。
 
附き合って御覧になると分かりますが、
どんなにかあの鳩が蛇のようにむでしょう。
 
一体陰険な奴ですが、きょうは誰でも
阿房になって、あらを手柄にする日なので、
あいつ等も天使としての名聞を思わずに、
 
都や鄙の厄介ものと名告なのって出ています。

怒の三女神フリエユ。

    かつて休まぬ神アレクトオ
どうせ諦めてわたし共におたよりなさらなくては。
こんなに綺麗で、若くて、小猫のようにあまえますもの。
あなたがた男のかたの中でいた女のおありなさる方には、
わたしがじゃれ附いて、耳のうしろをくすぐって上げます。
 
 
そしてお心安くなって、目と目を見合せてこう云います。
「あの女はあなたの外に誰さんにも愛敬を
振りきますよ。あたまは馬鹿で、背中は曲って、その上
びっこで、奥さんになさるおつもりなら駄目」と云います。
 
そんな風に女の方へも水を指します。
 
「二三週間前でしたが、あの方はあの女に
あなたの事を下げすんで話していてよ」などと
云うのです。仲直りをしても、何かしら残ります。 
 
    不親切の神メガイラ
そんな事は笑談です。婚礼をしてしまうと、
わたしが引き受けて、どんな場合にも
 
ごく美しい幸福を気紛きまぐれでまずくします。
一体人は変るもので、時によって変ります。
 
それで誰一人願って得たものを手にしっかり持って
いないで、慣れてしまった一番大きい幸福を忘れて、
おろかにもそれより願わしいものにあこがれます。
 
凍えて煖まろうとして、日を跡に逃げるのです。
 
そう云う人の扱をわたしは一切心得ていて、
い折に禍の種を蒔かせるように、夫婦中の
悪魔と云う、お馴染のアスモジを連れて来て、
二人ずつになっている人間を腐らせます。
  
 
    復讐の神チシフォネ
二心のある人を害する蔭言かげごとかわりに、わたしは
毒を調合したり、匕首あいくちを研いだりします。
余所の女に気を移した方は、早かれ遅かれ
お体に毒が廻るようにいたします。
 
そういたすと、ちょいとしたの甘いおたのしみが、
 
泡立つ毒、にがきもの汁になります。
そこには掛値もなければ、負けることもありません。
お犯しなすった罪だけは、おつぐのいなさらなくてはなりません。
 
免除ゆるしのなんのと云うことを仰ゃいますな。
わたしの訴は岩にいていたします。
 
ききなさい。すぐに谺響こだまが報の答をします。
女をお取換なすった方のお命はありません。 
 
    先触
どうぞ、皆さん、少し脇へお寄なすって下さい。
今ここへ来るのはなみの物ではありません。
御覧のとおり、山が一つ押し寄せて来ます。
 
いろどった毛氈が、誇らしげに腋に掛けてある。
頭から長い歯や蛇のような鼻が出ている。
なんだか秘密らしい物ですが、お分かりになるように、
鍵を見せて上げましょう。うなじには優しい女が
乗っていて、小さい鞭で巧者に使っています。
 
今一人上に立っている、立派な、上品な女は、
毫光ごうこうがさしているので、羞明まばゆくてなりません。
そばをやはり上品な女達が縛られて歩いて来ます。
一人はせつなげな、一人は嬉しげな目をしている。
一人は自由を求めていて、一人はそれを得ている。
 
さあ、一人々々自分の身の上をあかして貰おう。 
 
    おそれ
くゆ続松ついまつ、油の火、蝋の火微かに
入り乱れたる祭の群を照せり。
この幻の姿の中に、あはれ、
鎖は我を繋げり。
 
 
退け。見苦しき、笑ふ人々。
その崩れたる顔のさまこそ怪しけれ。
我を謀らんとする人等皆
今宵我に迫りとおぼし。
 
見よ。あれは仇となれる身方の一人なり。
 
あの仮面かめんをばわれ知れり。
またあの男は我を殺さんとしつるなり。
われに見知られて、今逃げ去らむとす。
 
あはれ、いづ方へまれ逃れて、
世の中に隠れ避けばや。
 
されどかなたよりは死の我をおどすあり。
我はなお烟とおそれとの中に捕はれてあり。 
 
    のぞみ
わがいや申すを受け給へ。おんなの友等。
きのふけふこそ、おん身等皆
姿を変へて楽み給はめ。
 
あすは必ず仮のよそい
解き給はん。
松の火の照らす下は、
わきて楽しとおもはねど、
晴やかなる日の昼に、
 
おのがじし心のまにま、
あるはひとり、あるは打ち群れて、
美しき野をそゞろありきし、
せまほしき事して、疲れて憩ひ、
憂を知らで日をくらし、
 
よろづ事足り、つねにいそしみ、
いづくへも、まらうどと
迎へられて行かばや。さらば
いづくにてか、もとも善きものを
見出ださでやはあるべき。
  
 
    智
人の世の大いなる仇二つあり。
そはのぞみおそれとなり。われそを繋ぎて、
御身等の群に近づかしめず。
道をけ給へ。御身等は救はれたり。
 
塔負へる、活ける大いなる獣を、
 
見給へ、われはきて行けり。
獣は険しき道をばいとはで、
一足づつ進み行けり。
 
塔の上にはしなやかに羽搏つ、
広き翼ある女神いまして、
 
いづ方へも向きて、
さちを授け給へり。
 
女神の身のめぐりには光ありて、
遠く四方よもを照せり。
人の世のあらゆるわざの女神として、
 
勝利の神と名告らせ給へり。 
 
    テルシテス、ツォイロスの合体
いやはや。己は丁度い所へ来たぞ。
お前さん方は皆悪いから、小言を言わねばならん。
だが、その中で己の目星を附けているのは、
あの上にいなさる勝利の神さまだ。
 
あんな真っ白な羽を背負しょって、
鷲かなんかのようなつもりでいて、四方八方、
自分が顔を向けさえすりゃあ、土地も人間も、
我物になると思っていなさるのだろう。
ところで、どこで誰が誉められて幅が利くのでも、
 
己はすぐに癪に障ってならないのだ。
なんでも低い奴を持ち上げて、高い奴を
押し落して、曲ったのをすぐな、直なのを曲ったと
云うことにしなくては、己の虫が承知しない。
己は世の中の事をそうあらせたいのだ。
  
 
    先触
こら。やくざいぬ奴。正義の杖の
誉ある一打をくらえ。打たれてすぐに
背中を曲げて、のた打ち廻るがい。
はあ。一寸坊の二人寄って出来た片羽者奴が、
見る見る胸の悪いかたまりになりおるな。
 
や。不思議だ。塊が卵になる。
そいつがふくれ上がって、二つにはじける。
中から飛び出す二匹の獣は、
かわうそ蝙蝠こうもりじゃないか。
獺は塵芥ちりあくたの中を這い廻って、
 
蝙蝠の黒い奴は天井へ飛び上がりおる。
はあ。一しょになって外へ逃げ出しおる。
あの三匹目の仲間には、己はなりたくないなあ。 
 
    耳語
さあ。奥ではもう踊っていますぜ。○いや。わたしは
もう帰ってしまっていたらと思っています。○
 
そろそろ怪しい物共がはびこって来て、
我々の周囲まわりを取り巻くのが分かりませんか。○
髪の毛の上をしゅうと云って通りますぜ。○
なんだか足にちょっと障ったようです。○
誰も怪我はしやしません。○
 
でもみんな気味を悪がっています。○
もうなぐさみはすっかり駄目になりました。○
畜生奴等がこうしようと思ってしたのです。 
 
    先触
わたしは仮装の会で
先触の役を仰せ附けられてから、
 
御門で真面目に見張っていて、
この慰の場所へ、あなた方に禍を及ぼすものが
忍び込む事のないようにしています。
わたしはぐら附きもせねば、怪しい物を
けて通しもしません。しかし窓から空を飛ぶ
 
化物が這入るかも知れません。あなた方の
魔法にお掛かりになるのを、
防いでおあげ申すことは出来ません。
なるほどあの一寸坊も少し怪しゅうございましたが、あれ、
あの奥の方からもまたどやどや遣って来ますね。
 
あいつらがなんだと云うことは、
役目ですから、説明をしておあげ申しましょう。
しかし理解の出来ない事は、
説明も出来兼ねます。
皆さんに教えて戴きたいものです。
 
御覧なさい。あの人の中を遣って来るものを。
四頭立の立派な竜の車が
どこでも構わずに通って来ます。
そのくせ人を押し分ける様子はなくて、
どこにもひどい混雑は起りませんね。
 
丁度幻燈でもしているように、
遠い所でぴかぴかしている。色々の星が
迷い歩いて光っている。や。竜の車の竜が
鼻を鳴らして駆けて来る。道をおあけなさい。
わたしも気味が悪い。 
 
    童形どうぎょうの馭者 
 
         まれ。
 
竜ども。少し羽を休めい。
己の馴れた※(「革+橿のつくり」、第3水準1-93-81)たづなが応えぬか。己がお前達を
制するから、お前達も自分の体を制するがい。
そして己が励ますとき、また走って行け。
この場所で粗忽があってはならないのだ。
 
それ、そこらを見廻せ。お前達を感心して
御覧になる方々が、幾重にも圏をかいていなさる。
さあ。先触の先生。あなたのお流義で、
わたしどものはしり抜けてしまわないうちに、
わたしどもの名を指して、講釈をなすって下さい。
 
御如才はありますまいが、
わたしどもはアレゴリアです。象形です。 
 
    先触
お前さん方の名を言うことは出来ないが、
見た所を説明することなら出来るでしょう。 
 
    童形の馭者
さあ。遣って御覧なさい。 
 
    先触 
 
           さよう。どう云おうか。
 
先ず、お前さんは美少年だ。
だが、まだ一人前にはなっていません。御婦人方は
お前さんが立派な男になった所が見たいでしょう。
どうも見受ける所が、お前さんは数奇者になって、
女を迷わすには持って来いと云う様子だ。
  
 
    童形の馭者
その辺は可なり受け取れますね。跡はどうです。
面白い謎のことばどもは見附かりませんか。 
 
    先触
目から黒い稲妻が出ている。髪の毛の闇夜に、
宝石で飾った紐が、晴やかな趣を添えている。
そしてその肩からかかとまで垂れている、
 
濃い紫の縁を取った、宝石の飾のある上衣は、
なんと云う美しい著物だろう。
意地悪く出れば、女のようだとも云いたくなるが、
なんのかのとは云うものの、今でもお前さんは
もう娘子達には好かれていますね。
 
恋のいろはを教えてくれたでしょうね。 
 
    童形の馭者
そこでこの車の上に座を占めておいでになる、
お立派な方をどなただと思うのですか。 
 
    先触
どうしてもお国が富んでいる、仁徳をおしきになる
王様と見えますね。御寵遇を受けるものは
 
為合しあわせでしょう。王様には此上のおのぞみはなく、
どこかで何かが足りなくはないかと、捜すように
見渡して、人に物を遣る浄いたのしみを、
我富よりもさいわいよりも尊んでいられるでしょう。 
 
    童形の馭者
まだその辺で止めては行けません。
 
もっと精しく説明なさらなくては。 
 
    先触
どうも威厳は説明がせられませんな。
しかし月のようなお顔はお丈夫そうで、
脣はふっくりとして、血色のい頬は
冠の飾の下にかがやいている。襞のある
 
お召物を召した所が、お気持が好さそうだ。
行儀作法はなんと申していか。王者のお身で
あって見れば、申すまでもありますまい。 
 
    童形の馭者
これは富の神と名に呼ばれておいでになる、
プルツス様が荘厳そうごんを尽しておあらわれになったのだ。
 
この国のみかどが切におねがいなされたので。 
 
    先触
そしてお前は誰で何をしなさるのか。 
 
    童形の馭者
わたしですか。わたしは物を散ずる力だ。詩だ。
自分の一番大事な占有物をき散らして、
そして自分の器を成す詩人だ。
 
わたしも無限の富を有している。
自分で値踏をして、プルツス様に負けぬつもりだ。
富の神の饗応や舞踏を飾って賑やかにして、
神の持っておられぬ物を、わたしが蒔き散らします。 
 
    先触
なるほど。その自慢話はお前さんの柄にある。
 
しかし腕前が見せて貰いたいものですね。 
 
    童形の馭者
さあ、御覧なさい。ここでわたしが指をこう弾く。
するともう車の周囲まわりでぴかぴか光って来る。
それ、そこから真珠を繋いだ緒が出て来た。

(指を弾くことを停めず。)

さあ、お取なさい。金の耳飾に頸飾だ。
 
きずのない櫛に冠だ。
指環にめたすばらしい宝石だ。
どうかすると、ちょっとした火も出します。
どこかへ燃え附かせて遣る積で。 
 
    先触
はあ。あのおお勢が争って拾っていること。
 
これでは蒔く人が押し潰されそうだ。
夢を勝手に見させるように、指で宝を
弾き出すのを、みんなはこの広場一ぱいになって、
拾い廻っている。や。新しい手を出したな。
誰かが急いで手に取ると、
 
取った物が飛んで行く。
これはほんの無駄骨折だ。
真珠を繋いだ緒は解けて、
手にはかなぶんぶんがむずむずしている。
や。可哀そうに。棄ておった。棄てた虫が
 
頭のまわりを飛び廻っている。
外の奴はのある物を拾うつもりで、
軽はずみな蝶々をつかまえおる。
横著小僧奴、前触だけが大きくて、
ただきんいろに光る物を蒔きおったな。
  
 
    童形の馭者
見受ける所、お前さんは仮装だけの事は
披露してくれなさるが、殻を割ってを見せるのは、
宮仕をする先触の為事しごとではないと見えますね。
それにはもっと鋭い目がいる。
だが、喧嘩にはわたしはしない。
 
さて、王様、わたくしはあなたに伺います。

(プルツスに向きて。)

あなたはわたくしにこの四頭曳の竜の車を
まかせになったではありませんか。
思召どおりに旨く馭しましたでしょう。
お望の場所に来ていますでしょう。
 
大胆な翼を振って、あなたのために
成功の棕櫚しゅろを取りましたでしょう。
あなたのために働いた度ごとに、
これまで成功しなかったことはありません。
そこであなたの額を月桂冠[#「月桂冠」は底本では「月柱冠」]が飾るなら、
 
それを編んだのはわたくしの心と手とでしょう。 
 
    富の神プルツス
うん。己に証明をして貰いたいと云うなら、
己は喜んでこう云って遣る。「己の心を獲た奴だ。」
お前は己の意図のとおりに働く。
お前は己より富んでいる。
 
功を賞してお前に遣る緑の枝は、
あらゆる己の冠よりも尊いのだ。
己は皆に聞えるように、本当の事を言う。
「愛する我子よ。お前は己の気に入っている。」 
 
    童形の馭者(群集に。)
皆さん御覧。わたしの手で蒔かれるだけの
 
最大の宝をわたしは蒔いた。
そこここの皆さんの頭の上に、
わたしの附けた火が燃えています。
一人の頭から余所の頭へ飛ぶのもある。
あの人にはまっても、この人からは飛んで退く。
 
稀にはぱっと燃え立って、
短いさかりの光を見せる。
だが大抵はその人の知らぬ間に、
悲しく燃えて消えるのです。 
 
    女等の耳語
あの四頭立の竜の車に乗っているのは、
 
あれはきっと山師よ。
あの背後うしろにしゃがんでいる道化役を御覧。
ついぞ見た事のない程、
糧饑かつえて痩せていますでしょう。
きっとつねっても覚えない位よ。
  
 
    痩せたる人
胸の悪い女ども。寄るな、寄るな。
己はいつ来てもお前達の気には入らないのだ。
まだ女と云うものがへっついの前にいた頃には、
己の名はアワリチアだった。倹約だった。
その頃は家の工面が好かったよ。
 
なるたけ多く取り込んで、外へはちっとも出さない。
己は箪笥たんす長持の中実なかみを気にした。
それが悪い道楽だったとでも云うのかい。
ところが近年になって見ると、
女は倹約なんぞはしなくなって、
 
悪い買手かいてと同じように、
欲しい物がかねより多い。
そこで亭主の難儀は一通でない。
どっちへ向いても借財だらけだ。
女は引っ手繰られるだけ引っ手繰って、
 
著物にする。好いた男に遣る。
前より旨い物を食う。世辞たらたらの
男連中と、食うより一層余計飲む。
そこで己はかねが前よりすきになった。
己はもう倹約ではなくって、吝嗇だ。
  
 
    女のかしら
お前のような毒竜は、毒竜仲間で
けちにしていなさるがい。詰まりまやかしだ。
そうでなくても、男は扱いにくくなっているのに、
こいつは男をおだてに来たのだよ。 
 
    群をなせる女等
あのわらのような男に上沓をおやり
 
磔柱はりつけばしらがなんのおどしになるものか。
あいつのつらをこわがれと云うのでしょうか。
竜は竜でも、木に紙を貼った竜だわ。
さあ、行って退治て遣りましょう。 
 
    先触
東西々々。己はこの杖に掛けて取り鎮める。
 
や。己が手を出すまでもないな。
皆さん御覧なさい。あの恐ろしい獣が
瞬く隙に周囲まわりの人を撥ね飛ばして、
前後二対の羽を拡げました。
鱗で囲んだ、火を噴く口を、
 
竜奴、おこってぱくつかせおる。
人は皆逃げてしまって、場はきました。

(プルツス車を下る。)

おや車をおおりになる。なんと云う御様子でしょう。
相図をなさると竜が動く。
櫃を車から卸して
 
金と吝嗇と一しょにいて来る。
あのお方の足の下に据えて置く。
どうして置いたか、不思議ですね。 
 
    富の神(馭者に。)
これでお前はうるさい重荷を卸した。
お前は自由自在の身だ。さあ、自分の世界へ往け。
 
ここはお前の世界ではない。乱れて、交って、
荒々しく、醜い物共が己達を取り巻いている。
あのお前が澄み渡った空を見渡す所、
自分を自由にして、自分だけを信用している所、
善と美とだけが気に入る所、
 
あの寂しい所へ往け。あそこで自分の世界を作れ。 
 
    童形の馭者
そんならわたくしは難有ありがたいお使のつもりで参ります。
そしてあなたを近い親類のように敬っていましょう。
あなたのいらっしゃる所には富有がある。
わたくしのいる所の人は大した利益を得た気でいる。
 
中にはむずかしい境界に迷うものもあります。
あなたに附こうか、わたしに附こうかと云うのですね。
あなたに附けば、勿論遊んでいられる。
わたくしに附けば、いつも為事しごとをしなくてはならん。
わたくしはどこでも隠れて働きなんぞはしません。
 
ちょっと息をすると、人がすぐに勘付きます。
どれ、お暇をいたしましょう。楽をさせて戴きますが、
小声で一寸およびになると、すぐ帰って参ります。 
 
    富の神
さあ、これで宝のいましめを解く時が来た。
錠前は先触殿の杖を借りてけよう。
 
それ、いた。皆見るがい。黒金くろがねの縛は
解けて、黄金こがねの血が湧き立つ。
真っ先に出るのは、冠、鎖、指環の飾だ。
しかし次第に盛り上がって、自分をとろかして埋めようとする。 
 
    交互に叫ぶ群集
あれ見ろ。そこにもここにも沢山に涌いて出て、
 
櫃の縁まで盛り上がって来るじゃないか。○
きんかめがとろける。
繋がった貨幣がのた打ち廻る。○鋳型から
飛び出すようにズウカスの金貨の跳るのを見ると、
己の胸はわくわくする。○
 
己の欲しい程の物が皆目に見えている。
あれ、地の上をころころ転がって来おる。○
己達にくれるのだ。すぐに利用するがい。
皆しゃがんで取って、金持になろうじゃないか。○
己達の方ではいっその事、電光石火の早業で、
 
あの櫃をそっくり取るとしよう。 
 
    先触
それはなんたる事だ。馬鹿な人達だ。どうするのだ。
仮装会の洒落ではないか。
今晩はもう方外の慾を出して貰いますまい。
お前さん方にかねや宝を上げるのだと思うのですか。
 
この遊山でお前さん方に上げるには、
小銭にしろ、好過ぎるのだ。
馬鹿な人達だ。巧者な洒落がそのまま
野暮な真実でなくてはならんのですか。
真実が分かりますか。お前さん方はぼやけた
 
まよいきぬの、方々の隅を攫んで引いているのだ。
仮装会の大立物の面被めんかぶりの富の神様。
この連中をこの場から追い出して下さらぬか。 
 
    富の神
お前さんのその杖はこう云う時の用意だろう。
ちょっとの間それを己に貸して貰おう。
 
どれ、ちょいとそれをさかんな火に入れよう。
さあ。仮装の連中御用心だぞ。
ぴかぴかぱちぱち火の子が飛ぶぞ。
杖はもうすっかり焼けているのだ。
誰でも傍へ寄るものは、
 
容赦なしに焼かれるのだ。
どれ、これを持って一廻しよう。 
 
    叫喚※(「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93)ざっとう
やあ、溜まらん。己達は往生だ。○
逃げられるものは皆逃げろ。○
背後うしろから押す先生。跡へ、跡へ。○
 
己の顔はもう熱くなって来た。○
己はあの焼けている杖の目方で圧されている。○
己達はもう皆助からないぜ。○
仮装連中、退いた、退いた。お先真っ暗で
うようよしている人達。退いた、退いた。○
 
羽があると、己は飛んで逃げるがなあ。 
 
    富の神
もうかこみは押し戻された。己の考では、
火傷やけどをしたものは一人もないつもりだ。
群集は跡へ引く。
もう追っ払われた。
 
だがまた秩序のみだれぬ用心に、
目に見えぬ鎖を引いて置こう。 
 
    先触
これは大した御成功でした。
旨くおしを利かせて下さって難有うございます。 
 
    富の神
いや。あなたはも少しこらえて見ていて下さい。
 
まだいろいろな混雑が出来て来そうです。 
 
    吝嗇
こうなればもう、すきな程、
気楽にこの場のお客達を見ていられる。
やはり何か見るものや食うものがあると、
真っ先に出るのは、いつまでも女だな。
 
己もまだしんまで※(「金+肅」、第3水準1-93-39)びてしまってはいない。
別品はやっぱり別品だ。
きょうは別に物のいるわけでもないから、
己達も安心してからかいに行かれそうだ。
だがこんな人籠の場所では、言うことが
 
皆誰の耳にも聞えると云うものでないから、
一つ旨い事をためして見よう。多分旨く
行くだろう。為方話しかたばなしで分からせるのだ。
それも顔や手足だけでは間に合わない。
一狂言書かずばなるまい。
 
一体きんと云うかねは何にでも化けるから、
こいつを湿ったへな土のようにして見せよう。 
 
    先触
あの痩せた阿房は何を始めるのだろう。
あんな腹のった男に洒落気があるだろうか。
あいつはきんを皆団子にねている。
 
それでも手が障ると軟になるのが妙だな。
しかしどんなに潰しても、円めても、
やっぱりいかがわしい恰好をしているなあ。
やあ。女の方へ見せに行くぞ。
みんなきゃっきゃと云って、逃げようとして、
 
随分見苦しい風をしおる。
横著者奴、一とおりの奴ではないと見える。
どうもあれは風俗壊乱になる事をして、
面白がっているのではあるまいか。
そうだと、己が黙って見てはいられない。
 
追っ払って遣りますから、その杖を下さい。 
 
    富の神
今どんな事が外から起って来掛かっているか、
あいつは知らずにいるのだ。馬鹿をさせて
おきなさい。今に悪劇いたずらをする場所がなくなる。
法律の力は大きい。しかし困厄の力は一層大きい。
  
 
    唱歌雑※(「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93)
山の高きより、森の低きより
るゝ群は今来たり。
防ぎ難き勢もて進めり。
パンの大神を祭れるなり。
誰一人知らぬ事を、彼人々は知れり。
 
かくて空しき境に進み入るなり。 
 
    富の神
己はお前達を知っている。パンの神も知っている。
お前達は団結して大胆な企を始めたのだな。
誰にでも分からぬ事をも、己は知っていて、
謙遜してこの狭い場所を明けて遣る。
 
己はお前達の好運を祈る。
これからはどんな不思議が現れるかも知れぬ。
あいつ等はどこへ歩いて這入るか知らないのだ。
用心なんぞはしていないのだ。 
 
    あらあらしき歌
やよ。粧へる群。上光うわびかりする見せ物共。
 
こなたはく馳せ、高く跳り、
地鞴ちたたら踏みとゞろかし、
あららかに、はららかしに来たり。 
 
    森の神等ファウニ
ファウニの群
面白く踊りて出づ。
 
※(「糸+求」、第4水準2-84-28)ちぢれたる髪に
※(「木+解」、第3水準1-86-22)の葉のかがふりせり。
細き、尖れる耳
波立つ髪を抜け出でたり。
鼻低く、おもて広し。
 
されどそは皆おみなには忌まれじ。
手をさし伸ぶるファウヌスには
美しき限の女、舞を辞むことあらじ。 
 
    森の神サチロス
サチロスもまた跡に附きて跳り出づ。
痩せたるすね山羊やざの足首附きたり。
 
その脛はすじあらはに痩せたるが好し。
そはシャンミイと云ふけもののごと、
山々のいただきを興がりて見巡らんためなり。
さて自由の風に心はらして、
かの烟もや鎖せる谷間深く棲み、
 
「我も生けり」とのどかに思へる
男、おみな穉子おさなご等を嘲み笑はんとす。
そはさながらに、物にさまたげられずして、
かしこなる高き境の我物にのみなれればなり。 
 
    土の神等グノオメン
こゝに小走に馳せ出づる小さき群あり。
 
ついをなし、連れ立ちて行くことを忌めり。
苔のころもあかき火を持ち、
く馳せ違ひ、
一人々々離れていとなみせり。
かがやく蟻のうごめく如し。
 
縦に横に忙はしげに、
かなたこなたといそしみまどへり。
 
人の家に出入いでいりする、まめやかなる侏儒しゅじゅ
近きうからにて、山の医師くすしとして知られたり。
高き山に吸球すいだま掛け、
 
満ちたる脈より汲み出せり。
さちあれ、幸あれ」と、勇ましく呼びて、
かねうずたかまろがし出だせり。
こは素より世のためを思ひてなり。
われ等は善き人の友なり。
 
さはれ惑はし盜ませんためにも、
人多く殺すこと思ひ立てる、
おごれる人にはがね持たせんためにも、
かのかねをば世に出だすなり。
三つのいましめを破らん程の人は、
 
その外の戒をもないがしろにせざらむや。
そは皆われ等のとがにはあらじ。されば
われ等の忍べるごと、おん身等も忍べかし。 
 
    巨人
荒男あらおと名に呼ばれて、
ハルツの山にては知られたる物共なり。
 
もとより裸にて、力強し。
皆巨人の様して来れり。
右手めてに樅の木の杖持ち、
と小枝とを編める
粗き前垂まえだれ掛け、太き紐を腰にまとへり。
 
法王のもとにはあらぬまもりつわものなり。 
 
    群なせる水の女

(パンの神を囲繞いにょうす。)

君も今来ませるよ。
大いなるパンの神は
世界の万有に
かたどれる御姿みすがたなり。
 
厳かなれど、なさけある神にませば、
人の遊び楽むを好み給ふ。
さればもとも晴やかなる汝達なんたち取り巻きまつり、
くすしき舞を軽らかに舞ひめぐれかし。
青き穹窿きゅうりゅうもとにます時も、
 
神は常に醒めておはす。
されど小川おがわは君が方へ流れ寄り、
軽き風は優しく君を休ませまつらんと吹けり。
真午時にまどろみ給へば、
木末こずえ一葉ひとはだに動くことなし。
 
すこやかなる草木の芳しき香は
声もなく静かなる空に満ちたり。
その時は水の女もまめやかにあるべきならねば、
たま/\立てりし所にぞる。
さてゆくりなく、君が御声みこえ
 
鳴神なるかみの鳴るごと、渡津海のとよむごと、
力強く鳴り響けば、
人皆奈何いかにせましと思ひ惑ひ、
戦のにわにある猛き軍人の群もあらけ、
入り乱れたる人等の中に立てる英雄すぐれびとも慄ふ。
 
されば敬ひまつらばや、敬ふべきこの神を、
われ等をこゝへて来ませるこの神を。 
 
    土の神等の代表者

(パンの神の許へ遣されたるもの。)

かのかがやける豊かなる宝は、
糸引けるごと岩間に流れひろごりて、
たゞ宝を起す奇しき杖にのみ
 
おのが迷路を示せり。
 
その時われ等、土蜘つちぐもの巣なす家を、
暗き岩間に営み起せり。
おん身は恵深くも宝の数々を
清き日影のさす所に分ち給ふ。
 
 
さてわれ等近きわたりに
驚くべき泉を見出でつ。
その泉かつて掛けても思はざりし宝を、
たはやすく涌き出でしめむとす。
 
この事はおん身能くし遂げ給はむ。
 
おん身のまもりもとに置かせ給へ。
「いづれの宝もおん身の手にあれば、
あまねく世の中に用ゐられむ。」 
 
    富の神(先触に。)
これはお互に腹を大きくして考えんではならん。
そして出来て来る事は、出来て来させるがい。
 
一体あなたはえらい度胸のある人ではないか。
この場で今恐ろしい事が出来て来るのだ。
現在の人も後の人も、※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)だと言い消すだろうから、
あなたの記録にしっかり留めて置いて下さい。 
 
    先触

(富の神の猶手に持ちたる杖を握りて。)

一寸坊どもがパンの神様をそろそろと
 
火を噴く穴の傍へ連れて行きますね。
深い底から高く涌き上がるかと見ると
またその底までずっと沈んでしまって、
穴の口が暗くひらいている。
そうかと思うと、また真っ赤にえ上がる。
 
パンの神様は平気で立って、
この不思議な有様を見て喜んでおられる。
真珠のような泡が左右へ飛ぶ。
どうして疑わずにこんな事をさせておられるだろう。
穴の中を見ようとして、低く身を屈められる。
 
や。お髯が穴に落ち込んだ。
あの綺麗に剃ったあごはどなただろう。
お手で我々にお顔を隠しておられる。
や。大変な事になった。
髯に火が移って舞い上がって来る。
 
被っておられる輪飾に、髪に、お胸に火が移る。
歓楽去って憂愁来るというのがこれだ。
群集が消しに駆け附ける。
しかし誰一人※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ほのおを免れるものはない。
手に手に打っても叩いても、
 
新しい※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)が燃え立つばかりだ。
火の中に入り乱れて、
仮装の一群は焼けてしまう。
や。口から耳へ囁き交して、
己に聞えて来るのは何事だ。
 
まあ、なんと云う不幸な夜だろう。
こんななげきを己達の上にもたらすとは。
誰も聞きたく思わぬ事を、
あすの日は触れ散らすだろう。
兎に角所々で叫ぶ声が聞える。
 
あの御難儀なさるのは「帝」だと。
どうぞ本当でないといが。
帝とお側の方々が焼けておいでになる。
樹脂やにのある小枝で身をよろうて、
吠えるような歌いざまをして、
 
一しょに滅びにおいでになるように、
惑わし奉った奴はのろわれておれ。
ああ。歓楽も度をえてはならぬと云う
戒を、若いもの共は所詮守ることは出来ないのか。
ああ、全能でおいでなさるとおりに、君主が
 
全智でおいでなさることは所詮出来ないのか。
 
もう火が木立に燃え移った。
尖った※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)の舌で舐めるように
木を結び合せた屋根へ燃え上がる。
仮屋全体の火事になりそうだ。
 
不運はもう十二分だ。
誰が己達を助けてくれるだろう。
さしも一時の盛を極めた、帝王の栄華は
一夜の灰燼になるだろうか。 
 
    富の神
もう恐怖も広がっていだけは広がった。
 
そろそろ救助に掛からせなくてはなるまい。
大地が震い動き、鳴り響くように、
その神聖な杖を衝き立てて貰おう。
おい。そこの広々とした「くう」に言うのだが、
一面に冷たい※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)においみなぎらせい。
 
水を含んで棚引いている霧を
呼び寄せて、そこらへ漂わせて、
燃えている群集を覆って遣れ。
雲霧くもきりは流れて、ざわついて、渦巻いて、
漂いながら滑って、しずかに籠めて、
 
そこでも、ここでも火を消しながら闘ってくれ。
苦艱を緩める力のある、湿ったお前達は、
あの虚妄の※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)の戯を、
熱くない稲妻に変ぜさせてくれ。
悪霊どもがわれ等を侵そうとする時には、
 
魔法がしるしを見せなくてはならんのだ。
 
 

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