(池沼、ニュムフェエ等に
ペネイオス河
しばし破れし夢に、
柳の木立軽くさやぎおとなへ。
凄まじき物のけはひ、
微かに物皆動かす
波の中、静けさの中より我を醒ましつ。
ファウスト(川に立ち寄る。)
己の
この梢の入り違った
人の声に似た物音が
聞えるように思われる。
波もくどくどと何やら云って、
風も何やら喜び戯れているらしい。
少女ニュムフェエ等
(ファウストに。)
御身をこゝに横へ、
疲れたる手足を
涼しき所にて
常に御身の得難き眠を
味ひ給はんこそ
もとも宜しからめ。
われ等さやぎ、そよめきつゝ、
ファウスト
己はこれでも覚めている。己の目の
見遣るあそこに、
あの姿を、あのままおらせて貰いたい。
不思議な程身にしみじみと応える。
夢だろうか。昔の
これまでこんな幸に逢ったことが一度ある。
軽く戦いでいる、茂った灌木の群の
爽かな中を、水が這って通る。
荒い音は立てぬ。やっとそよめくだけだ。
清く澄み切った池になっている。
水鏡に映って、二重に、
目を悦ばせてくれる。
そして女等は中善く、楽しげに
大胆に泳いだり、こわごわ
そのうち、とうとう叫び交わして水合戦をする。
己はこれだけの事を見て満足して、
目を悦ばせていなくてはならぬのに、
己の心はそれに安んぜずに、先へ先へと進む。
そして目はあちらの物蔭を鋭く
緑に茂ったあの木の葉が
や。珍らしい。入江の
威厳のある、清げなけはいで、
優しく群れて遊んではいるが、
また世に
あの頭や
中に一羽が群を凌いで大胆に、
どの鳥をも跡に残して走って行って、
誇りかに振舞うのが見える。
体中の羽根をふくよかに起して、
神聖な所へ入り込んで行く。
外の鳥共は穏かに羽根を
あちこちを泳ぎ廻って、
折々は臆病な少女等を
后を守護する
自分々々の安危を思わせようとして、
騒がしい、晴がましい争をして見せる。
ニュムフェエ
皆さん。この青い岸の段々に、
耳を押し附けて聞いて御覧なさい。
わたしの
馬の蹄の音がするようですね。
今宵の祭に
まあ、誰でしょうかねえ。
ファウスト
駆けて来る馬の蹄に
大地が鳴り響くようだ。
向うを見れば、
幸運が
もう己に向いて来たらしい。
無類の奇蹟だ。
騎者が一人駆けて来る。
智もあり勇もありそうな人だ。
眩い程の白馬に乗っている。
己の僻目でないなら、もうその人も知れている。
フィリラが生んだ名高い倅だ。お待なさい。
ヒロンさん。あなたに言いたい事があります。
人首馬身のヒロン
なんです。何事です。
ファウスト
ちょっと
ヒロン
いや。己は
ファウスト
そんなら連れて行って下さい。
ヒロン
そんなら乗れ。そうしたら、己の問う事も
問われよう。どこへ行くのだ。お前は岸に
立っているが、川を越させて遣っても
ファウスト(乗る。)
どこへでも連れておいでなさい。御恩は長く
忘れません。あなたは大人物だ。高尚な教育家だ。
英雄の一種族を名の揚がるように育てたのだ。
あのアルゴオの舟に乗った立派な人達や、
その外詩人の材料になった人達を育てたのだ。
ヒロン
そんな事はそっとして置いて下さい。
パルラスでさえ師匠としては誉められない。
どうかすると、門弟は教えたも教えなかったも
同じ事で、勝手に遣って行きますからね。
ファウスト
それにあなたは草木を一々知っていて、
その根ざしを底の底まで窮めて、
健かなあなたに、わたしは載せられているのだ。
ヒロン
それは傍で英雄が創を負えば、
救って遣ることもわたしには出来る。
しかし先々の手当は
巫女や僧侶に任せて置く。
ファウスト
なるほどあなたは、人の称讃に耳を借さない
真の大人物だ。自分のようなものは、
外にいくらもあると云う風に、
話をそらしてしまうのですね。
ヒロン
お前さんなかなか辞令に巧だ。王者にも
人民にも程の
ファウスト
でもこれだけは承認なさるでしょう。
あなたは同時代の大英雄を目撃して、
事業はその最上の人の風を慕って、
半神として誠実に暮らされたのです。
そこで御承知の英雄達の中で、あなたは
誰を一番えらいと思いますか。
ヒロン
先ずアルゴオの舟に乗った立派な人達は、
それぞれ変った、えらい所があって、
自分の授かった力量次第で、
外の人に出来ない事をしたのだ。
少壮で風采の好い事では、
ジオスコロイの兄弟が勝を占めていた。
敢為邁往の気象で身方の利を謀ったのは、
ボレアスが伜兄弟の手柄だ。
沈著で、剛毅で、聡慧で、物の相談が好く出来、
女共に悦ばれて、勢力のあったのはイアソンだ。
それから優しく、物静かに、ゆったりして、
オルフェウスは善くリラの琴を弾じた。
千里眼のリンケウスは、
暗礁を
同心協力しなくては危険を凌ぐことは出来ぬ。
一人の働が皆の誉になるのだね。
ファウスト
なぜヘラクレスの事を少しも言わないのです。
ヒロン
そんな名を言って、己に懐旧の情を起させては
困るなあ。フォイボスや、またアレス、ヘルメス
なんどと云う神達は、己は見なかった。
己の目の前に見たのは、世の人が皆
神と称える、あの人だけだ。
あれは実に生れながらの王者で、
若い時は
それでいて兄には善く仕えて、
美しい女子達には優しくしていた。
ゲアの
ヘエベエもあんなのを二人と天へ連れては行かぬ。
歌に歌おうとしても及ばぬ。
石に彫ろうとしても似せることは出来ぬ。
ファウスト
なる程塑造家が随分骨を折りますが、
どうも
そこで一番立派な男のお話を承ったから、
こん度は一番美しい女のお話を伺いましょう。
ヒロン
なんですと。女の美なんと云うものは詰まらない。
兎角凝り固まったような形になり
己は喜ばしげに
姿でなくては、褒めない。
美の尊さは独立している。己がいつか
載せて遣った時のヘレネなんぞは、
誰も反抗することの出来ぬ嬌態を持っていた。
ファウスト
あなたが戴せましたか。
ヒロン
うん。この背中に載せた。
ファウスト
そうでなくても心苦しいのですが、そんな
背中にわたしは載せられているのですか。
ヒロン
お前さんが今しているように、あれもその
握んでいたのだ。
ファウスト
わたしは全く気が遠くなる。
どうしてそんな事があったか、話して下さい。
あれはわたしの慕っているただ一人の女です。
どこからどこへ載せて行ったのですか。
ヒロン
その御返事をするのは造作はない。あの時は
ジオスコロイの兄弟があれを
賊の手から救って遣った。
しかしあれは負けていたくない性分なので、
元気を出して跡から駆けて来た。
所で兄弟の急ぐ足をエレウシスの
沼が遮り留めた。兄弟はぼちゃぼちゃ渉る。
己はあれを載せてごぼごぼ這入って泳ぎ越した。
あれは飛び降りて、濡れた鬣をさすって、
愛らしく賢しげに、しかも気高く、
世辞のある礼を言った。実に
老人の目をも悦ばせる、若い、美しさだった。
ファウスト
でもその時はまだ
ヒロン
ははあ。博言学の
先生達が自ら欺いて、お前さんをも騙したのだな。
神話の女は別な物だ。あれは詩人が
都合の好いように書いて見せるのだ。
いつ丁年になるでもなく、年が寄るでもなく、
いつも旨そうな肉附をしていて、子供半分で
奪われたり、
詰まり詩人は時間に縛せられないのだ。
ファウスト
ですからあの女も時間に縛せられないが、
見附けたのも時間の外でした。不思議な幸ですね。
運命に
わたしだってこれ程の
あの姿を
あの偉大で、しかも優しく、尊厳で、しかも可哀い、
神々と同等な、永遠な姿をですね。
あなたは昔見られた。わたしは今見たのです。
動されずには、慕わずにはいられない美しさです。
もうわたしの心も魂も
あれを手に入れずには、生きていられません。
ヒロン
おい。
いるも好かろうが、
気違染みている。しかし丁度
己は毎年ちょいとの間、アスクレピオスの娘の
マントオを尋ねて遣ることになっている。
あれはいつも静かな祈を父に捧げている。
どうぞお
医者共の夢を醒ましてお
大胆に人を殺すことをお
下さいと云うのだ。
情深く優しくて、目まぐろしくこせつかない。
お前さんを少しあれが所に滞留させたら、薬草の
根の力で、病気を根治して上げることが出来よう。
ファウスト
直してなんぞ貰いたくはありません。魂は
丈夫です。直されて俗人同様にはなりたくない。
ヒロン
神の泉の霊験を
さあ、お
ファウスト
どうぞ言って下さい。気味の悪い夜中に、川床の
小石を踏んで、どこの岸へ連れて来たのですか。
ヒロン
ここがロオマとグレシアとの争った所だ。右は
ペネイオスの流、左腋はオリムポスの山だ。最大の
版図が、水の砂に吸われるように滅びた。
王は
御覧。
永遠の
巫女マントオ(内にて夢見心地に。)
馬の蹄に
神の
半神が来ると見える。
ヒロン
目を
マントオ(醒む。)
好くおいでなさいました。
ヒロン
お前さんの祠もちゃんと立っていますからな。
マントオ
今でも
ヒロン
あなたがいつも神垣の中にじっとしていると
同じ事で、わたしは駆け歩くのが面白いのです。
マントオ
動かずにいるわたしの
そしてこの
ヒロン
評判の悪い祭の夜が
渦巻に巻き入れてこの人を連れて来ました。
物狂おしいような心持になって、
ヘレネを手に入れようとしていますが、どこで
どう手を著けて好いか、知れないのです。
アスクレピオスの療治を受けるに誰よりも適当でしょう。
マントオ
出来ない事を望む人はわたしは
(ヒロンは去ること既に遠し。)
大胆なお
ペルセフォネイアさんの所へ暗い廊下から
行かれます。オリムポス山の
いつぞやオルフェウスさんをそっと通したのも
ここです。さあ、大胆にあれより旨くお
(共に降り行く。)
(同上。)
セイレエン等
いざ、ペネイオスの流に跳り入りてむ。
かしこにて、音立てゝ波を凌ぎ、
滅びし
歌はむは、われ等に似附かはしかるべし。
水なくば幸あらじ。
晴やかなる群なして急ぎ
諸共にアイゲウスの海に入りなむ。
さらばわれ等楽しき事の限を見む。
(地震。)
川床低く流れずなりて、
波は泡立ちて帰り、
砂原と岸とは裂けて烟を吐けり。
いざ、逃れむ。皆共に来よ。
いざ行かむ。楽める貴きまらうど等。
ゆらぐ波
ゆるやかに立てる海の
晴やかなる祭の
われ等を濡らす所に行かむ。
かしこには賑はしき自由なる生活あり。
こゝには忌まはしきなゐのふるあり。
さかしき人は
こゝはゆゝしき所なり。
地震の神セイスモス
(地の底深くうめきひしめく。)
もう一遍力を入れて押して、
肩でしっかり持ち上げて遣れば、
地の上に出られるだろう。そしたら
なんでも
スフィンクス等
まあ、なんと云う、
こわい、気味の悪い音のしようだろう。
ぐらついたり、ぶるぶるしたり、
我慢の出来ない程、厭だこと。
だけれど、地獄がそっくりはじけて出ても、
わたし達はこの場は去らない。
おや。不思議な、円天井の宮殿が
あの年の寄った、
いつかお産をし掛かっているレトさんを
住わせようと、波の中からデロス島を
湧き出させた、あの人です。
あの人が押したり、衝いたり、骨を折って、
アトラスの神のような風をして、
背中を屈めて、
草の生えた所でも、泥や砂や小石のある所でも、
この川岸の静かな所でも、一体に
地面を押し上げているのです。
とうとうこの谷間の静かな地面の
横に裂いてしまいましたね。
大きいカリアチデスのような風をして、
まだ地の下で、胸の所まで、恐ろしい
石の一山を持ち上げています。
しかしもうあれから上へは上がらせません。
わたし達が据わっていますからね。
地震の神
何もかも己が一人で手伝ったと云うことは、
もう大抵世間が認めてくれそうなものだ。
己がゆさぶって遣らなかったら、
世界がこんなに美しく出来てはいまい。
画を欺く美しさに見えるように、
己が押し上げて遣らなかったら、
美しく澄んだ蒼空に
あそこの山々が聳えてはいまい。
夜の先祖の、あの混沌、あのハオスの前で、
己が
一しょになって、
ペリオンやオッサの山を投げた時の事だ。
己達は若い勢で暴れた挙句に、
あの山二つを、
今ではムウサ達の尊い群と一しょに、
アポルロンさんがあそこに楽しく住んでおいでだ。
チェウスさんの椅子だって、あの
己があの高みへ押し上げたのだ。
そこで今夜も精一ぱい
地の底から己は
面白そうな人間共を、大声で、
新しい生活に呼び覚ますのだ。
スフィンクス等
あの、ここにそば立っているものが、
地の下から、もがいて出て来たのを、この目で
見ていなかったら、太古からあのままに
あったと思わせられてしまうでしょう。
木の茂った森が半腹まで広がって、
今でも次第に岩々が
しかしスフィンクスはそれには頓著しません。
この神聖な場所に、澄ましています。
グリップス
紙のような、
ひらひらするのが、己には隙間から見える。
あんな宝を取られるようにするのだぞ。
さあ、蟻共。掘り出しに掛かれ掛かれ。
歌う蟻の群
押し上げしごと、
足まめやかなる友等、
いざ
疾く
この隙間なるは
到らぬ隈なく、
塵ばかりなるをも、
いちはやく
皆いそしめ。
たゞ
山はさてあらせよ。
グリップス
持って来い。持って来い。
己が爪で押さえている。
これが一番
どんな宝でも
侏儒ピグマイオス等
どうしてこうなったか、知りませんが、
わたし共もここへ陣取りました。どこから
来たなぞと、お尋下さいますな。
兎に角ここにいますから。
生きながらえて楽しく住むには、
場所はどこでも結構です。
岩にちょいと割目が出来ると、
もう一寸坊がそこに来ています。
一寸坊の夫婦は、皆共稼で、
似合のものばかりです。
楽園以来こうでしたか、
そこの所は存じません。
わたし共にはここが結構で、
なぜと申すと、東でも西でも、土地と云う
おっ
極小侏儒ダクチレ
あのおっ母さんは一晩に
小さいものを生んだとおりに、
一番小さいものをもお
それにも似合の
侏儒の長老
程好き所に
急ぎて座を占めよ。
さて急ぎて
早さを強さに代へよ。
世はなほ治れり。
鍛冶の
蟻等皆
群なしていそしみ
さて数多き
木
親しき火あらせよ。
炭を造れよ。
将軍
弓を取り、矢を負ひて、
かの池の畔に
あまた巣作りて、
射て墜せ。
さらば
飾して
蟻等と極小侏儒と
誰がこっちとらを助けてくれるだろう。
こっちとらが鉄を持って来て遣れば、
あいつ等は鎖を拵えおる。
だが逃げ出すには
まだ早過ぎる。
まめに働いているが
イビコスの黒鶴等
殺す
物に恐れる羽ばたきが聞える。
己達のいる、この高い所まで聞える。
あのうめき苦しむ声はどうだろう。
もう皆殺されてしまって、
海が血で赤く染まった。
鷺の品の好い飾を醜い形の
慾が奪ってしまう。
あの腹の太った、脚の曲った横著者の
冑の上に、もう取られた羽が閃いている。
おい。仲間の鳥達。列をなして
海を越して行く鳥達。
唇歯の
己達はお前方を呼ぶのだ。
力を惜まずに、血を惜まずに、あの醜類に
永遠な敵対をして遣ろうじゃないか。
(叫びつゝ空中に散ず。)
メフィストフェレス(平地にて。)
北の国の魔共なら兎に角己の手に合うが、
どうもこの異国の化物共は扱い憎くて困る。
やっぱりブロッケンの山は
どこに飛び込んでも方角の知れぬことはない。
イルゼの
ハインリヒも我名の辻は居心が好いはずだ。
万事千年の後までも
所がここに来ては、誰だってどこに立って、どこを歩いて
いるか知らない。足の下の土がいつ持ち上がるか知らない。
己がのん気に
出し抜に背中に山が出来ている。
山と云うのも大袈裟だろうが、あの高まりでも、今まで
話していたスフィンクスと己との間を隔てるには十分だ。
ここから谷の下の方を見れば、まだ
燃えていて、それぞれの不思議を照している。
まだ己をおびくように、
騙すように、女の群が空を踏んで踊っている。
そっと行って見よう。どこでも
附いている己に、何かしら
妖女ラミエ等
(メフィストフェレスを誘ひつゝ。)
急がばや
いづくまでも。
またしばしたもとほり
物言ひ交さばや。
老いたるすきものを
誘ひ寄せて
面白からずや。
よろめき、
躓きつゝぞ来る。
われ等逃ぐれば、
足引きて
跡よりぞ来る。
メフィストフェレス(立ち留まる。)
ひどい目に逢う事だぞ。男は
アダム以来三太郎は馬鹿にせられ通しだ。
誰も年を取るが、さて賢くはならないな。
随分これまで沢山馬鹿にせられたのだが。
一体腰を細くして、
根から腐っているのが分かっている。
どこを掴まえても丈夫な所はない。
節々が朽ちてぼろぼろになっている。
それが見えていて、手に取るように知れていて、
そのくせあいつらが笛を吹くと、つい踊るのだ。
ラミエ等(立ち留まる。)
お
逃がさないように、からかってお
メフィストフェレス(歩む。)
遣っ附けろ。何もおめでたく疑惑の
網に引っ掛かるには及ばない。
魔女と云うものもいなくては、
男の悪魔がなんにもなるまい。
ラミエ等(飽くまで嬌態を弄す。)
この
わたし達の中で、どれかがきっと
可哀くおなりなさるに
メフィストフェレス
お前達も別品のようだ。
そこで悪口は言いたくない。
一脚の女エムプウザ(群に入る。)
わたしも悪くは仰ゃらないでしょう。その
あなた方のお仲間に入れて頂戴な。
ラミエ等
わたし達の仲間では、あの女は余計ものだわ。
いつでも
エムプウザ(メフィストフェレスに。)
驢馬の足を持っている、お馴染の
御親類のわたしが御挨拶をしますわ。
あなたのは馬の蹄ですけれど、
兎に角お心安くなすってね。
メフィストフェレス
ここには知ったものなんぞはいない
それに生憎そんな親類がいたのかい。
なんにしろ、古い書類でも調べなくてはなるまい。
ハルツからヘラスまで親類だらけでは。
エムプウザ
わたしはこれでなかなかす早いの。
いろんな物に化けてよ。
先ずあなたへの御馳走に
ちょっと頭を驢馬にしましたの。
メフィストフェレス
はてな。この連中ではなかなか
血筋ということを大事にしているようだ。
しかしどんな事が
驢馬の頭を身内にはしたくないな。
ラミエ等
あの厭な女にお
あいつが皆追っ払いますの。
美しい、可哀らしい物がいても、あいつが来ると、
すぐいなくなってしまいますの。
メフィストフェレス
だがそこにいる、すらりとした
姨さん達も、わたしは皆怪しいと思う。
その
化物のこわい顔がありそうだから。
ラミエ等
おお勢いますから、
一人お掴まえなさいな。御運が好ければ、
くどくど仰ゃるのは
のろのろ遣って来て、大きな顔をしてさ。
ほんとに厭な色男だわ。わたし達の
仲間にいらっしゃったからには、
そろそろ
正体をお見せなさいな。
メフィストフェレス
それ。一番の別品を掴まえるぞ。
(一人を抱く。)
しまった。箒のように痩せてけつかる。
(他の一人を抱く。)
こいつはどうだ。ひどい御面相だな。
ラミエ等
あなたのお相手には好過ぎるわ。
メフィストフェレス
小さい奴を
ラチェルタ奴、手を摩り抜けて行きゃあがる。
そんなら一つ背の高いのをと思うと、
そいつはチルンスの杖のようで、
どうしよう。もう一つ太った奴を掴まえようか。
こんなのは気持が好さそうだ。
これが勝負だ。遣っ附けろ。
むくむくぼてぼてしていゃあがる。東洋人の
値を好く買いそうな
おや。しまった。隠子菌だ。はじけやがる。
ラミエ等
さあ、分れましょうね。ふわふわゆらゆら、
黒い群になって飛んで、稲妻のように、
覚束なげに、気味の悪い
蝙蝠のような、音のしない
あの人、割にひどい物に逢わずに済んだわね。
メフィストフェレス(身慄す。)
己もまだ余り智慧は附いていないな。
北の方も馬鹿らしいが、ここも馬鹿らしい。
化物はあそこもここもねじくれてけつかる。
土地のものも詩人も殺風景だ。
どこでも助兵衛の
ここにも仮装舞踏があるのだ。
優しげな
身の毛の弥立つ五体を見せられる。
せめてもっと長く持ってくれたら、
己は目を
(石の間を彷徨す。)
己はどこにいるだろう。どこへ出られるのだろう。
道と思っているうちに気味の悪い所へ出た。
ごろごろした石ばかりになっている。
登ったり降りたりして見ても無駄だ。
あのスフィンクス共はどこにいるだろう。
一晩のうちにこんな山が出来る程の、
馬鹿げた事があろうとは思わなかった。
魔女共が元気好く物に乗って来るついでに、ここへ
ブロッケンの山を持って来たとでも云おうか。
山の少女オレアス(天然岩の上より。)
ここへ登っていらっしゃいな。これは古い山で、
そっくり昔の形のままでいます。
ピンドスの神山の延びて来た一番の端です。
この嶮しい岩の道を
ポンペイユスが越して逃げた時も、
わたしは動かずにこうして立っていました。
傍にあるまやかしの山なんぞは、
あれと同じで、
すぐにまた亡くなることが、度々あります。
メフィストフェレス
なるほど難有そうな頭をしている。
丈夫なの木の茂みを
此上もなく明るい月の光でさえ、
あの木下闇には照り込むことが出来ない。
所があの森の傍を控目に光る
小さい火が通っているな。
どうしたと云うのだろう。
そうだ。
おい。小さい先生。どこから来たい。
小人
わたくしはどうぞ本当の意味で成り
少しも早くこの硝子を割ってしまいたいと思って、
そこからここへと飛んで歩いています。
所が今まで見ただけでは、思い切って
這入り込んで行こうと思う場所がありません。
そこであなたに内証でお聞せするのですが、
哲学者を二人見附けましたよ。
「自然、自然」と云うことを、口癖に言っています。
あの人達は下界の事に通じているはずだから、
見失わないようにしようと思っています。
あの人達に聞いたら、一番旨く遣るには、
どこへ話すが
メフィストフェレス
それはやっぱりお前が自分でする方が
化物共のいる場所では、
哲学者は歓迎せられる。世間の奴が
お腕前を拝見して、お蔭を蒙るように、
先生達は早速化物の一ダズン位は製造するのだ。
やっぱりお前も迷って見なくては、智慧は附かないよ。
成り
小人
しかし
メフィストフェレス
そんなら行くが好い。どうなるか、見ていよう。
(二人別る。)
火山論者アナクサゴラス(タレスに。)
君は強情で、人の説に服せまいとしているのだ。
君に得心させるには、これ以上に何がいるのかい。
原水論者タレス
波と云うものはどの風にも
頑固な岩は
アナクサゴラス
火の
タレス
小人(二人の間にありて。)
どうぞわたくしを附いて行かせて下さい、
わたくしはこれから成り
アナクサゴラス
そこで、君、一晩にこんな山を
泥から拵えたことがあるかい。
タレス
所が、自然と云うものと、その
昔から昼夜や時間で限られてはいないよ。
一々の物の形を正しく拵えて行くのが
大体から見ても、威力を以て遣ってはいない。
アナクサゴラス
所がここでは遣ったのだ。プルトン流の恐ろしい
アイオルス流の蒸気の爆発力が
平地の古い
出来なくてはならぬようにしたのだ。
タレス
そこでそれ以来どうなったと云うのだい。
山が出来ている。詰まりそれで宜しい。
こんな喧嘩で暇を潰して、辛抱強い世間の奴を
引き摩り廻しているばかりでは駄目だ。
アナクサゴラス
そこで岩の割目を賑わすように、
その山がミルミドン族や、ピグマイオスや
ダクチレや、蟻、その外の小さい、まめな
連中を、うようよ涌いて来させるのだ。
(ホムンクルスに。)
そこでお前方だが、始終世棄人のように引っ込んで
生きていて、大きな事を企てたことがない。
もし人の上に立って見る気になられるなら、
一つ王冠を
小人
タレス先生はどう思召します。
タレス
わたしは
勧めたくないね。小さいものに交っていれば、小さい事が
出来る。大きいものと一しょになれば、小さい
ものも大きくなる。あの黒鶴の群を見い。
あれは今騒ぎ立った人民を威しているのだが、
帝王をでもやっぱりあの
今小さい奴等の上へ卸して来る。
もう否運の影が閃いている。事の
小さい奴等が平和な池を取り巻いて、
雨と降った、殺生の矢が、今は残酷な、
虐殺を敢てした一寸坊の血が見たいと云う、
鳥仲間の怒を招くことになった。
盾も冑も槍も、もう用には立たぬ。
一寸坊共がもう鷺の羽の飾をなんにしよう。
あのダクチレや蟻なんぞの隠れるのを見い。
もう全軍が色めく。逃げる。瓦解する。
アナクサゴラス
(
今まで己は
この場合では上の方へ向いて祈らねばならぬ。
御身よ。上にいて、永遠に古びずに、
三つの称号、三つの
ジアナ、ルナ、ヘカテの三一の神よ。我民草の
惨害を見て、おん身に祈る。
御身よ。胸を
見えている神、力強く優しい神よ。
御身の陰翳の物凄い
昔ながらの威力が不思議を待たずに見たい。
(間。)
天を仰いでした
己の祈が、
自然の秩序を
目に恐ろしく、常ならず見える、
女神の円く限られた玉座が、次第に、次第に
大きくなって、近づいて来る。
その火が気味悪く赤くなって来る。もうそれより
近くなってくれるな。脅かすような、力強い
御身は己達をも陸をも海をも滅ぼすだろう。
それではテッサリアの女共が、無遠慮な幻術の
心安立から、歌で、御身が軌道を離れて降りて
来られるようにしたと云うのは、本当か。おん身に
迫って一番ひどい禍を招いたと云うのは本当か。
明るい盤が
や。突然裂ける。光る。
しゅっしゅっと云う音はどうだ。それに
雷が鳴る。
己は玉座の
これは己が招いた禍だ。
(地に
タレス
好くいろんな物が見えたり、聞えたりする男だな。
何事があったか、己にはさっぱり分からない。それに
己にはそんな事を一しょに感じることも出来なかった。
お互に白状するが好い。今は気違染みた時刻だ。
ルナは前々
気楽に浮いていなさるのだ。
小人
でもあっちのピグマイオス共の
今まで円かった山が尖って来ました。
わたくしには恐ろしい衝突が感ぜられました。
岩が月から墜ちて、すぐに
なんの遠慮会釈もなく、
敵も身方も押し潰して殺したのです。
しかし兎に角わたくしは、
一夜のうちに、下からと上からと同時に、
創造的にこんな山を拵えた
技術を称えずにはいられません。
タレス
まあ、落ち着いていろ。あれはただ思想上の出来事だ。
一寸坊の醜類共は滅びてしまうが好い。
お前は王にならいで、
晴やかな海の祭へ行こう。あっちの流義では、
不思議な客を待っていて、敬ってくれるのだ。
(共に退場。)
メフィストフェレス
(反対の側を
この
ごつごつした根の上を、難儀しながら登っている。
国のハルツの山では、一体に
あれも
そんなはちっともしない。
一体地獄の責苦の火を、こっちでは
なんで焚き附けるか、聞いて見たいものだ。
の木の少女ドリアス
お国ではお前さん気の利いた
余所へおいでなすっては駄目ですね。
そんなにお国の事なんぞを思い出さないで、
この難有いの木をお
メフィストフェレス
いや。誰でも棄てて来た事を恋しく思うものだよ。
居慣れた所は、いつまでも天国だ。
それはそうと、あそこの洞穴の中の
薄昏がりに三人しゃがんでいるのはなんだ。
ドリアス
あれは闇の女フォルキアデスです。気味が悪いと
お
メフィストフェレス
行かれない事はないよ。や。見て驚くなあ。
己は負けない気だが、こんな物はまだ見たことが
ないと云って
マンドラゴラの根のお化よりひどい。
この三人の化物を見たからは、
一番古く嫌われている罪悪だって、
ちっとも醜いとは云われまい。
国の地獄では一番ひどい所の入口にも、
こんな物は我慢して置いて遣らない。
ここでは美の国だと云うにこんな物が生える。
それを古代と云って褒めるのだ。
や。動き出した。己を嗅ぎ附けたらしい。
何やらぴいぴい云いおる。血を吸いそうな
闇の女フォルキアデス
きょうだい達。ちょいと目をお
近所まで、誰が来たか、聞いて見るから。
メフィストフェレス
姉えさん
お三人の祝福を戴きたいのです。
お馴染もなくて出掛けたのですが、わたくしの
随分古い難有い神達にもお目に掛かりました。
オプスやレアさんには、しっかり頭を下げました。
きのうでしたか、おとついでしたか、混沌の子の、
御きょうだいのパルチェエ達にも逢いました。
しかしあなたのような方を拝むのは始てです。
もう
フォルキアデス
この幽霊は物の分かる男らしいね。
メフィストフェレス
ただどの詩人もあなた方を歌わぬのが妙ですね。
どうしたのでしょう、どうしてそんな事が出来たでしょう。
こんなお立派な方々の肖像を、ついぞ拝したことがない。
ユノやパルラスやウェヌスばかり彫らないで、
彫刻家の
フォルキアデス
寂しい暗い所に引っ込んでいるものですから、
ついそこに気が附きませんでしたよ。
メフィストフェレス
無理もないですね。あなた方が世に遠ざかって
誰にも逢いなさらず、誰もあなた方を拝まないのだから。
一体豪奢と芸術とが座を分けて据わっていて、
毎日大理石の
さっさと股を広げて歩いて出るような
土地に住んでいなされば
そう云う。
フォルキアデス
お
望があったって、なんになるものかね。
夜生れて、夜のものに親んで、人には丸で
知られず、自分にさえ知られずにいるのだもの。
メフィストフェレス
そうだとして見れば、わけもない事です。
人に委任して御覧になると
お三人で目を一つと歯を一本と使っておいでになる。
そこでお三人の御本体を、一時お
なさるとして、三人目のお姿をわたくしに
お
ないでしょう。
フォルキアデスの一人
どうだろうね。好かろうか。
他の二人
いたして見ましょう。でも目と歯とは貸されません。
メフィストフェレス
それでは一番
どうしてお姿がそっくり似せられましょう。
一人
わけはありません。片々の目を
鬼歯を一本お見せなされば
そうなされば、横顔がすぐにそっくり
わたくしどもに似ておいでなさいます。
メフィストフェレス
難有い事です。
フォルキアデス
好うござんす。
メフィストフェレス
(横顔をフォルキアデスにする。)
これでもう混沌の秘蔵息子になりすました。
フォルキアデス
それはわたし達が混沌の娘だと云うことは確かです。
メフィストフェレス
これでは半男半女だと冷かされても
フォルキアデス
改めてのきょうだい三人の中で誰が美しかろう。
こちらは二人で目も歯もあります。
メフィストフェレス
己はもう誰にも見られぬようにせんではならぬ。
地獄の
(退場。)
(月天の頂点に懸かる。)
セイレエン等
(岸の岩の上あちこちにゐて、笛を吹き、歌ふ。)
夜の恐ろしき
テッサリアの
君を
今は君静かに
優しく
その波間に浮き出づる
群を照させ給へ。
美しきルナの神よ。いかにもして仕へまつらん。
ただ御恵を垂れ給へ。
ネエレウス族とトリイトン等と
(海の怪物として。)
今一際
深き底なる民呼び継ぐべし。
恐ろしき
我等静かなる片蔭に寄り集へり。
優しき歌われ等を誘ふ。
見給へ。われ等は喜ばしさの
玉を
帯をさへ添へて飾りぬ。
こは皆君等が賜なり。
君等、この入江の神等。
舟
歌の力もて引き寄せ給ひぬ。
セイレエン等
憂きこと知らぬ
魚は海の涼しき国に、
楽しく過すものとは、早く知れり。
さはれ。祭の
けふは君等が世の常の魚に優れるを、
われ等は見ばやと思へり。
ネエレウス族とトリイトン等と
こゝに来るに先だちて、
われ等早く思ふよしありき。
世の常の魚に優ると云ふ、
けふはいさゝかの旅せば、足りなむ。
(共に退場。)
セイレエン等
皆つと去りぬ。
追風のまにまに
サモトラケさして
尊きカベイロイの国へ行きて、
何をかせんとすらん。
測り知られず、何物にも似ぬ神々なり。
とことはにおのづから
常に何ぞともみづから知らずと云ふ。
恵深きルナの神よ。
高き空にさながら、優しくいませ。
夜の長く続きて、
われ等の日に逐はれざらむために。
タレス
(岸にて小人に。)
お前をネエレウスの
しかし
強情で手におえないて。
あの不機嫌な親爺には、人間世界の
全体のする事が、いつも気に食わない。
所があいつには未来の事が分かっている。
だから誰でも遠慮して、いる所にいさせて、
敬って置いて遣るのだ。その上あいつは
いろいろな人の世話もしてくれたのだ。
小人
硝子をこわして、火を消されもしますまい。
海の神ネエレウス
己の耳に聞えるのは人間の声か知らん。
どうもすぐに
りきんで神々の境に達しようとする生物だが、
そのくせ永遠にどん栗の
出来ている。昔から己は神らしく休んで
いられるのに、善い物を助けたくてならない。
所で昨今の
智慧を貸したものとは思われないのだ。
タレス
所が、おじさん、世間ではやはりあなたを
食わせないで下さい。この人間らしい火を御覧。
あなたの御意見
海の神
意見だと、昔から人間が意見を聴いた
気の利いた
何度遣って見て、自分で自分に呆れても、
人間はどこまでも
他所者の女が、あいつの色気を網でからんで
しまわぬうちに、あのパリスにだって親同様に
意見をした。グレシアの岸に大胆に立っていたあいつに
己の心の目に写った事を云って聞せた。
烟は空に満ち、赤い色が
トロヤの復讎の日だ。千載に伝えて、
活きた画のように、人の知っている恐ろしさだ。
横著者奴、老人の詞を笑談だと思いおった。
情欲のままに振舞った。イリオスの都は落ちた。
長い
ピンドスの山の鷲の待っていた馳走だ。
ウリッソスにだってそうだ。キルケの手管も、
キクロオプスの禍も、己が言って聞せたのだ。
あいつの
何もかも言って聞せた。それが役に立ったか。
よほど遅くなってから、十分揺られた挙句に、
波の恵で
タレス
そう云う振舞は賢者に苦痛を与えるでしょう。
しかし善人はまた遣って見るものです。
一毫の報恩も、善人に大喜をさせて、
わたし共のお頼は容易な事ではない。
あの小僧はこれから成り
海の神
己の久し振の上機嫌を損ねさせてくれるな。
きょうはまるで違った用のある日だ。
己の娘達、ドオリス族の海少女が
皆来るように言って置いた。
あんな美しい立居の女は、オリムポスの山にも、
お前
しなやかに、竜の背からネプツウヌスの馬に
乗り換えて来る。泡の上にでも
浮き上がることが出来るように
水に親しく馴れている。
一番美しいガラテアは、
ウェヌスの常の座、貝の車に乗って来る。
あれはキプリスが己達に叛いてから
パフォスで神に祀られているのだ。
あれがウェヌスの
車の玉座を占めてから、もう久しくなる。
帰れ帰れ。親として己が楽む、きょうの日に、
心に怒、口に悪口は禁物だ。
形を変えるプロテウスの所へ往け。どうして
成り出でられるか、化けられるか、あの化物に聞け。
(海の方へ退場。)
タレス
これはまるで無駄な
逢ったところで、すぐ消えてしまうだろう。
相手になってくれた所で、呆れるような事、
戸まどいをするような事しか、言っては聞せまい。
しかし兎に角意見が聞きたいと云うのだから、
(退場。)
セイレエン等
(上の方、岩の上にて。)
寄り
風のむた
白帆の進み近づくごと、
姿あざやかにも見ゆるかな。
あはれ、浄められたる海少女等よ。
いざ、諸共に岩を
声さへ、
ネエレウス族とトリイトン等と
われ等の手に載せ、かしづきて来ぬるもの、
君等の心を悦ばせざらめや。
われ等が
君等
セイレエン等
御身はさゝやかなれど
昔より
ネエレウス族とトリイトン等と
治まれる世の祭せむと、
カベイロイの神等を迎へ来ぬ。
この神等の畏く振舞ひ給ふ境には、
ネプツウヌスの神も
セイレエン等
舟の砕けむとき、
われ等おん身等に及ばず。
逆はむよしなき
舟人を救ひませば。
ネエレウス族とトリイトン等と
その神
われぞ
セイレエン等
かくては
嘲り給ふことゝなりなむ。
君等たゞ
禍を恐れてあれ。
ネエレウス族とトリイトン等と
セイレエン等
さらば残れる三柱はいづくにおはする。
ネエレウス族とトリイトン等と
われ等は知らず。
オリムポスの山にてや問はまし。
かしこにはまだ誰も思ひ掛けぬ
八柱目の神もやいまさん。
そもわれ等に憐を垂れ給ふらめど、
皆未だ
得られぬ物に
あくがれます
セイレエン等
日のうち、月のうち、
いづくに神等いまさむも、
祈る習をわれ等は棄てじ。
そはその甲斐あればなり。
ネエレウス族とトリイトン等と
この祭執り行ふわれ等の誉
いかに高く挙がるかを見よ。
セイレエン等
いづくにて、いかに赫かむも、
誉はいにしへの
君等カベイロイを迎へまつらば。
一同
(合唱として繰り返す。)
黄金なす羊の毛皮は手に落ちぬれど。
我等、君等カベイロイを迎へまつらば。
(ネエレウス族とトリイトン等と過ぎ去る。)
小人
あの不恰好な神様達は、
この目には悪い土器の壺のように見えます。
ところが学者達がそれに頭を
タレス
こう云うのが人の欲しがる物だ。
(見えざる所にて。)
己のような年寄の昔話の話手にはこんなのが気に入る。
異形なだけ
タレス
プロテウスさん。どこにいるのだ。
変形の神
(応声法にて近く遠く。)
ここだ。ここだ。
タレス
古い洒落だが、己はおこりはしない。
しかし友達に好い加減な事を言うな。
自分のいない所から声を出しているな。
変形の神(遠く。)
さようなら。
タレス
(小声にて小人に。)
ついそこにいるのだ。一つ光らせて
お見せ。あいつは
どこに身なりを拵えて、じっとしていても、
火にはきっとおびき寄せられて出て来る。
小人
まあ、硝子をこわさないように用心して、
光を出して見ましょう。
変形の神
(大亀の形して。)
その優しい、美しい光を出しているのはなんだ。
タレス
(小人を蔽ひ隠す。)
宜しい。見たけりゃあ、傍へ寄って見させよう。
しかしちょっとした
人間らしい二本足になって出てくれ。
己達の隠しているものを見るのは、
己達の好意、己達の意志のお蔭だ。
変形の神
(品好き形を現す。)
タレス
まだ色々に化けることを道楽にしているな。
(小人を露呈せしむ。)
変形の神(驚く。)
光る一寸坊だな。まだ見たことがない。
タレス
智慧を借りて成り
当人の話に聞いたが、
妙なわけで半分世に出て来たのだそうだ。
精神上の能力には不足はないのに、
手に
今までの所では、目方と云っては硝子だけだから、
先ず体を拵えて貰いたいと云う志願なのだ。
変形の神
お前が本当の
まだ出来るはずでないのに、もう出来ている。
タレス(小声にて。)
それからも一つ外な方面から見ても難物だ。
己の考えた所では、こいつは半男半女だ。
変形の神
それは却て旨く行くかも知れない。
だがここでは余計な思案はいらない。
先ず広い海に往って始めるのだ。
最初は小さい所から遣り出して、
極小さいものを併呑して恐悦がる。
それから段々大きくなって、
うわ手の
小人
ここは好い風の吹いて来る所ですね。
こう青い若木の
変形の神
そうだろう。可哀い小僧の云う
もっと先ではもっと好い心持になる。
そこの狭い岬では、
がもっとなんとも云えなくなる。
そこの前へ行くと、今浮いて来る
行列が十分近く見える。
さあ一しょにあっちへおいで。
タレス
己も行こう。
小人
珍らしい化物の三人連だ。
ロドス島のテルヒイネス魚尾の馬と竜とに乗り、ネプツウヌスの三尖杖を持ちて登場。
合唱の群
いかなる荒波をも鎮むる、ネプツウヌスの
その恐ろしきはためきにネプツウヌス
かゝる時その間にありて憂へつゝ闘ふものは、
されば彼神けふ我等に指揮の杖を借し給へり。
いで、我等は晴やかに、落ち居て心安く浮びてあらむ。
セイレエン等
日の神に身を委ねまつれる、
晴れたる日に称へられたる君等に、
われ等
金工テルヒイネス
立ち
果しまして、火の如く赫く目してわれ等を見給へり。
山も、市も、岸も、波もめでたく
彼神の
霧立ち籠むることなし。よしや忍びやかに
立つことあらむも、
浄めらるべし。さて彼神は己が姿を
写せるを見まさん。若者あり、
優しきあり。神々の御稜威を厳めしき人の
形には、われ等始て造り出だしつ。
変形の神
勝手な歌を歌わせて、勝手な自慢をさせて
置くが
死物は笑談に過ぎない。いつまでも
あいつ等はその形を金で鋳て、
あの高慢な連中が詰まりどうだと云うのだ。
なるほど神々の形が仰山らしく立っていた。
ところが地震がこわしてしまった。
もう
下界の
詰まりどこまでも無駄骨折だ。
生活には波の方が余計役に立つ。
お前を
変形の神の鯨だ。
(変形す。)
そりゃ。化けた。
そこへ行くと、お前、旨く行くのだ。
己がこの
渡津海と
タレス
造化を新規
殊勝な望だから、望
手ばしこく働く用意をするのだ。
永遠な法則に随って働いて、
千万の形を通り抜けて行くのだから、
人間になるまでは大ぶ暇があるぞ。
(小人変形の神の鯨に乗る。)
変形の神
魂を据えて湿った遠い所へ一しょに来るのだぞ。
そこへ行けば、竪にも横にも生活を広げて、
勝手に活動することが出来るのだ。
ただ余り
人間になってしまうと、
もうおしまいだから。
タレス
まあ、その時になってからの事だ。その時代の
立派な人間になるのも、随分結構だ。
変形の神(タレスに。)
お前のような性の人間になれと云うのだな。
そんなのは暫くは持つ。
もう何百年か、色の蒼い化物の仲間に
お前のいるのを見ているから
セイレエン等(岩の上にて。)
月の
まろがる雲は何の雲にか。
鳩なり。光の如き、真白なる翼して、
恋に身を焦す鳩なり。
この恋する鳥の群をば
パフォスの市送りおこせつ。
晴やかなる喜、明かに満ちわたりて、
われ等の祭は
海の神(タレスに歩み近づく。)
夜道を歩く人間が、あの月の暈を
空気の現象だと云ったそうだが、
己達のような
知っている。本当の事を知っている。
あれは昔から覚え込んだ、
特別な、不思議な飛方をして、
己の娘の貝の車に乗って来る
案内をする鳩共だ。
タレス
静かな、暖い巣に
神聖な物が生きながらえているということは、
すなおな男に気に入る
己も一番好い事だと思う。
リビアのプシルロイとイタリアのマルシと
(海の牡牛、海の
キプロスの荒き
海の神にも塞がれず、
上れる代に変らぬ、
静かに
われ等キプリスの車を
さて優しき波のゆきかひに、
夜の囁くとき、
新に生れたる
はしき少女を載せて
われ等ひそかにいそしむもの等は
鷲をも、翼ある獅子をも、
十字架をも、月をも怖れず。
入り代りて立ち働き、
かたみに逐ひ遣り、打ち殺し、
任せてん。今はわれ等
はしき少女を
セイレエン等
やゝ賑はしく、程好く急ぎ、
車の
蛇のうねりせる
列と列と入り乱れ、
近づき来たるよ。汝達。憎からず
逞しき
ガラテア、母の似姿を。
厳めしさは、神々と同じく見ゆる、
尊き、
また優しき人の世の
ドオリス族
(群をなしてネエレウスの前を過ぐ。皆鯨に乗れり。)
ルナの神よ。われ等に光と陰とを借させ給へ。
若きこの群を
われ等は父のみ前に、願ふ心もて、
(ネエレウスに。)
こは岸噛む波の怒れる
われ等の救ひ
蒲の上、苔の上にをらせて、
温め、日の光に近づかしめき。
その光はわれ等の賜ぞと、まめやかに
熱き
優しき人々を恵のみ心もて見ませ。
海の神
高き価ある事をいしくも併せ得つるよ。
人に恵を与へ、みづからも楽みて。
ドオリス族
父君、われ等の
われ等の享けし
とはに若きこの胸に、夫等を
堅く寄り添ひてあらせ給へ。
海の神
若者を
さはれチェウスならではえ
われいかでか授くることを得む。
汝達を
恋をもとはにならしめねば、
靡く夢の覚めむ日待ちて、
おだしく
ドオリス族
めぐしき
悲しくも今より別れなむ。
とはに
神等そをゆるし給はず。
少年等
われ等すなほなる
君等今のごと、長く養ひまさばとぞ思ふ。
かつて知らぬ、めでたき日を送りぬ。
これに増す願あらめや。
(ガラテア貝の車に乗りて近づく。)
海の神
ガラテア
お父う様。嬉しい事。
鯨。少しお
海の神
もう行ってしまった。はずみのある、
あれも胸になんと思っても
ああ。己を連れて行ってくれれば
それでも一年の間の
ただ一目見るのが嬉しい。
タレス
万歳。万歳。何遍繰り返しても
己は真と美とが骨身に
盛んに嬉しくなって来た。
何もかも水から出て来たのだ。
何もかも水で持っているのだ。
大洋。どうぞ己達のために永遠に働いていてくれ。
お前が雲を送り出して、
何本かの
中位な川をあちこちうねらせて、
大川を
山や平地や世界がどうなろう。
一番新しい性命を保たせてくれるのはお前だ。
反響(登場者一同に呼ぶ。)
一番新しい性命の出て来る源はお前だ。
海の神
今ゆらつきながら遠くを戻って来るが、
もう目と目を見合せるようには通らない。
儀式めいて伸びた鎖の
圏を造ろうとして、
おお勢の群がうねっている。
それでもガラテアの貝の車だけは、
今ちょいと見える。あ。またちょいと見える。
あの群の中で
星のように光っている。
どんなに遠い所にいても、
やはり近く、
浄く、明るくきらめいて、
あの可哀い姿は群集の中に照っている。
小人
この
何に
美しくないものはない。
変形の神
この性命の湿の中で、
お前の
好い
海の神
なんの新しい秘密を、あの群の真ん中で、
己達の目に打ち明けて見せようとするのだろう。
ガラテアの足の
恋の脈の打つのに感動させられているように、
ぱっと燃えるかと思うと、また愛らしく微かに光る。
タレス
あれはプロテウスがホムンクルスを騙して
連れて来たのだ。
悶えて声を立てるうめきが聞えそうだ。
あの赫く玉座に触れて砕けるだろう。
今燃え立つ。今光る。もう流れ散る。
セイレエン等
打ち合ひて光りて砕くる彼波を
照らし浄むるは、いかなる火の
赫きて、ゆらめきて、こなたへ照りてぞ来る。
夜闇の水の
めぐりには総て火流る。
この事共を皆始めしエロスの神よ。
海を
水を称へむ。火を称へむ。
稀なる
皆々
優しく、恵ある風を称へむ。
こゝなるもの皆祀らばや、