ヘレネと捕はれたるトロヤの女等の群と登場。パンタリス合唱の群をひきゐる。
ヘレネ
沢山褒められもし、
わたくしです。今著いた海岸から来ました。
ポセイドンの波の恵、エウロスの風の力で、
フリギアの
故郷の入江へ送り込まれた、その間の
波の
メネラス王はあちらの下の方で、軍人の中の
勇士達と凱旋の祝をしていられます。
お
帰って建てられて、クリテムネストラとは女同士、
カストル、ポリデウケスと親しくわたくしが
遊んで育った頃、スパルタのどの家よりも
美しく飾られた、この尊い御殿。
お前はどうぞわたくしを迎え入れておくれ。
お前達、鉄の門の扉にわたくしは会釈します。
昔お前達がさっと
選ばれて来たわたくしの前へ、壻君メネラス様の
お姿が
わたくしが夫人に似合わしく、王の急ぎの
相違なく果すように、また聞いて通しておくれ。
わたくしをここへ入れておくれ。運悪く、ここまで
附き
わたくしがなんの気なしに、尊いお役を承って、
キテラのお社へお
お社でフリギアの賊に捕われてから、ほんに
色々な事があった。それが世間一ぱいの評判じゃ。
だが、誰でも自分の事を昔話のように
作られると、それを聞きたくはないものだ。
合唱の群
どうぞお后様、お
一番尊い物をお
一番大きい
お
お誉でございます。英雄は名を轟かして、
その強情も、あらゆる物に打ち勝つ
美の前には
ヘレネ
もうお
しかしどう云う思召だか、わたくしには分からぬ。
妻として帰るのか。后として帰るのか。
それとも王様の御心痛の
久しく忍んだ不運の生贄として帰るのか。
わたくしは取られた。だが、捕われたか、それは
知らぬ。不死の神がわたくしに、
運命とを授けたのが、美しく生れた身の怪しい
同行者で、それがどうやらこの門口では、陰気な、
なぜと云うに、
めったにわたくしの顔も見ず、優しい
向き合っていて、何か
そして前の数艘の舟の舳先が、エウロタ川の
深い入江に這入って、岸に触れると、神の教でも
受けたように云われた。己の兵士は隊の順序に
ここで上陸するが
検閲する。お前は先へ行くが
神聖なエウロタ川の、豊饒な岸に
どこまでも沿うて、湿った牧場の敷物の上に
馬を駆って、昔ラケデモンが厳めしい
山に近く囲まれた、豊かな、広い畑を作った、
美しい平野に行く著くまで帰れ。
そして高い塔の聳えている王宮に這入れ。
そこに己が気の利いた、年の寄った、
取締役の女と一しょに、残して置いた
女中共がいる。その人数を調べて見い。
お前の父が残して置いて、それに己が
戦争の時も平和の時も、添えて貯えた、沢山の
宝を、お前取締役に出させて見い。
何もかも相違なく整理してあるだろう。
なぜと云うに、置いて出た物が皆、帰った時に
残っていて、置場所も変っていないのが、
王侯たるものの特権だ。人臣には何一つ
変更する権能は授けてないのだと云われた。
合唱の群
さあ、追々にお
御覧になって、お目をもお胸をもお慰めなさい。
鎖や冠の飾は、皆つんと澄ましていて、
あなたがいらっしゃって、さあ、来いと仰ゃれば、
皆急いで御用を勤めようといたします。
あなたのお美しいお姿と、金や真珠や
宝石との戦争が拝見いたしとうございます。
ヘレネ
それから
品物の整理してあるのを、改めて見た上で、
神聖な祭の式を行う時、生贄を扱うものの
手許にいる、数だけの五徳と、
いろいろな
尊い泉で汲んだ、清い水を頸の長い瓶に
入れたのと、火の早く移る、乾いた
薪とが用意してなくてはならぬ。
それから
その外の事はお前見計らって置け。
わたくしを追い立てるようにして、こう云われた。
だけれどその指図をなさる
神達に殺して供える生物を、何とも
云われなかった。不審な事ではあるけれど、
わたくしは別に心配せずに何もかも神達に
お任せするから、お気に召すようになさるが
死ぬる人間のわたくし共は、
こらえてお
土に押し附けた獣の項の上に、祈祷と共に
重い斧が振り
殺すことの出来なかったことがある。不意に
敵が押し寄せたり、神達がお
合唱の群
未来に出来ますことは、お分かりになりませぬ。
お后様、御安心遊ばして、
お
善い事も悪い事も、
不意に人の手から出来てまいります。
前以てお知らせがあっても、信ぜられませぬ。
トロヤの都は焼けて
目の前に見ましたではございませんか。
それでも御一しょにここへ参って、
あなたにも、
恵ある、
国の一番美しい所を見て、
楽しく御奉公をいたすではございませんか。
ヘレネ
どうなっても
どうやら失ってしまったらしかったこの御殿が、
どうしたわけともなく、また目の前にあるのだから、
わたくしの務だ。だけれど子供の時に飛び越した
高い階段を、どうも大胆には踏んで行かれぬ。
合唱の群
あらゆる悲を
遠く投げ棄てておしまいなさい。
お
却てしっかりした
御先祖の御殿の
楽しくお近づきになる
御主人様、ヘレネ様の
お
幸運を元に返し、
出て行った人を呼び戻す、
尊い神様達をお
捕われたものは
放たれたものは
羽が生えたように、どんな艱難をも
飛び越すのではありませんか。
遠くにお出になった、このお方をば、
ある神様がお掴まえなすって、
お若くていらっしゃった昔の、
口に言われぬ
お喜やお歎を、
改めてお思出しになるように、
イリオスの荒された都から、
新しく飾られた
古い御先祖の御殿に
お
先導の女パンタリス(合唱の群を率ゐて。)
皆さん、歓楽で取り巻かれた唱歌の道を離れて、
あの御門の扉を振り向いて御覧なさい。
どうなすったのでしょう。お后様があらあらしい
お
お后様。どうなさいました。お召使達が御挨拶を
申し上げる
おありになったのでしょう。お隠し遊ばしますな。
お厭な御様子、不意の
闘っている御様子が、お顔に見えておりまする。
ヘレネ
(扉を開きたるままになし置き、感動して。)
チェウスの娘に生れたわたくしは、常の事を
怖れはせぬ。軽く撫でる
だけれどもこのお城で、
火山の口から湧く、焼けた雲のように、
今でもいろんな形をして
英雄の胸でもおののかずにはいられまい。
きょうはわたくしの帰って来るのを、地獄の
長く恋しがっていた門口ではあるが、わたくしは
暇乞をして出た客のように、ここを出て帰りたい。
いや、そうはしたくない。日のさす
どうにかしてお
夫を迎えると同じように、わたくしを迎えさせる。
先導の女
あなたを敬って、お附申している女中共に、
お后様、何事にお
ヘレネ
わたくしの見た物は、お前方も今
見るだろう。もし古い夜が、自分の拵えた形を、
すぐ深い自分の懐に埋めなかったら、見るだろう。
しかし知らせるために、
わたくしが
御殿の厳めしい、内の
荒れ果てた廊下の
耳に急いで歩く人達の足音も聞えず、
目に用ありげに
いつも余所のものが来てさえ優しく会釈する
取締役もいず、女中一人も出ては来ない。
それから竈の据えてある辺に近寄って見ると、
消えた炭火の
いる人が見える。なんと云う覆面をした大女だろう。
眠っていると云うより、物を案じているらしい。
事によったら、
取締役の女ででもあろうかと思って、主人らしい
詞で、起って働くように指図して見た。しかし
襞のある著物に身を包んで、女は働かずにいる。
とうとう威すように云うと、女はわたくしを
家や竈から逐うように、右の臂を動かした。
わたくしはおこって女に
すぐに急いだ。その上には夫婦のいる、飾られた
タラモスの牀が高く据えてあって、その隣が
宝蔵なのだ。その時怪しい女は急に起って、
往く先に立ち塞がって、目をも心をも惑すような
怪しい恰好、痩せた、背の高い体、
血走った、どんよりした目を、わたくしに見せた。
しかし口で言うのは
造るように組み立てることは出来ぬ。
あれをお見。大胆に明るみへさえ出て来た。
だけれどもここでは、王様が帰られるまでは、こっちが
主人だ。日の神フォイボスは美の友で、夜の生んだ
醜い物を洞穴へ入れるか、退治るかしてくれよう。
(フォルキアデス閾の上、
合唱の群
わたくし共は、
いますけれど、いろいろな目に逢いました。
戦争の悲惨、イリオスが落ちた
恐ろしい事も沢山
見ています。
押し合う兵士が埃を蹴立てて、あたりを
暗くして騒いでいる中に、神様達のお
声が響き、野原を越えて、城壁の方へ、
聞いています。
おう。イリオスの城壁はまだ立っていました。
しかし
隣へと這い渡って、
自分で起した風に煽られつつ、
ここかしこから夜の町へ
広がって行きました。
烟と熱と舌のように閃く
間から、ひどくおおこりになった
神様達が、
歩み近づいておいでになるのを、逃げながら
拝みました。
そんな混乱を本当に見ましたやら、それとも
恐怖に縛られたわたくし共の心が
造りましたやら、もうなんとも申すことは
出来ません。しかしここで
この恐ろしい物を目で見ていますことは、
確かに承知いたしております。
もし恐怖がわたくし共を控えて、
そんな危険を冒さぬようにしないものなら、
手で掴まえてでも見られましょう。
お前はどれだえ。
どうしてもあの一族と
比べて見ずにはいられないね。
闇に生れて、一つの目、一本の歯を
かわるがわる使っている。
フォルキアデスの一人のお前が、事に依ったら
来たのだね。
日の神フォイボスさんの
美と押し並んで、
お前のような醜い物が
よく思い切って出られたね。
日の神さんの神聖な目は
ついぞ影と云うものを見たことのない
醜い物は見ませんからね。
だけれど残念な事には悲しい不運が、
わたくし共死ぬる人間に迫って、
永遠に
起させる、言うに言われぬ目の苦痛に
逢わせずには置きませぬ。
そんならお前、恥を知らずにわたくし共に
向って出て来たお前、お
神様のお
咀う口から出る
闇の女フォルキアデス
美しさと廉恥とが、下界の緑の道を
手を引き合って一しょに歩かぬと言う諺は
古いけれど、その意味はいつまでも高尚で、真実だ。
二つの物の間には、深く根ざした、古い
そこでいつどこで道の上で行き合っても、
またひどい勢でずんずん歩いて行く。廉恥は
悲しげだが、美しさと来ては平気な顔で歩いて行く。
そこへ
とうとう地獄の
そこでお前達、横著者奴は、遠い国から高慢げに
遣って来おった。丁度あの
鳴いて通る黒鶴の群のようなものだ。我々の
頭の上を、長い暗い行列をして鳴いて通ると、
声が下へ聞えるので、静かに歩いている旅人が
つい
旅人で、自分々々の道を行く。この場合もそうなるだろう。
お前達は何者だ。国王の尊い御殿を、酒の神を
祭るマイナデスのように荒々しく、酔ったように
跳ね廻って好いのか。犬の群が月に吠えるように
御殿の取締役に向いてほざいて好いのか。どんな
兵卒が生ませて、戦争が育てた、
色気違奴。自分も男に騙されながら、男を騙して、
公民の力をも、
お前達の群になっているのを見ると、畑の緑の
余所の努力を食い潰す
国の富を
売られて、貿易の
ヘレネ
こりゃ。主人のいる前で、召使に悪口を言うのは、
無礼にも主人の持っている家の掟を破る
褒めて
それはわたくしの外のものには出来ないはずだ。
その上威力赫くイリオスの都が囲まれ、落され、
滅びた時、あれ等が尽してくれた誠実を、
わたくしは満足に思っている。また
数々の難儀の時、誰も自分の事ばかり考えて
いるはずだのに、あれ等のしてくれた奉公もある。
あの機嫌の
だからお前もうお
これまで王様の御殿を、わたくしに代って、大切に
守っていたなら、それはお前の手柄にしよう。
こうして主人が帰ったからは、お前は手をお
そうせぬと、褒める
闇の女
なるほど、奉公人を叱るのは、神の恵を受けた王様の
奥方が、長の年月御殿を治めた
大切な権力で、
さて改めてお認められなされた奥方のあなたが、
お后、
宝物をも我々一同をもお
弛んでいる
ですが、何より先に、あなたのような美しい
この多数を抑えて、年寄を
先導の女
お美しい方の傍では、
闇の女
賢い人の傍では、分からずやは猶分からずやだ。
(これより下、合唱の群より一人づつ出でて答ふ。)
第一の女
闇のエレボスが父親で、
闇の女
恥知らずのスキルラと従姉妹同士だとでも云え。
第二の女
お前さんの系図にはいろんなお
闇の女
お前は親類を捜し出しに地獄へでも行け。
第三の女
地獄にいるものも若過ぎて、お仲間になりますまい。
闇の女
第四の女
オリオンの
闇の女
おお方ハルピイアイが
第五の女
そんなに骨と皮になるには、何を食べておいでなの。
闇の女
お前達の吸いたがる血なんぞは食わないよ。
第六の女
御自分が死骸でいて、やはり死骸が食べたいのね。
闇の女
その恥知らずの口に光るのはウァムピイルの歯だ。
先導の女
お前が誰だと、そう云ったら、その口が塞がりますよ。
闇の女
自分が先へ
ヘレネ
その荒々しい
歎かわしいが、腹は立たぬ。忠実な召使の間に、
損になる物は外にあるまい。そうなると、
反響が、手早く
もう帰って来ぬ。その反響は、自分も迷って、
罵っている主人の身の
作って狂い廻るようになる。そればかりではない。
お前達は行儀を忘れた
恐ろしい
近寄らせた。わたくしは故郷の
地獄へ引き込まれたような気がする。これは昔の
記憶だろうか。我身を襲う
荒す、恐ろしい夢の姿が、あれが皆我身であった
だろうか。今も我身だろうか。
女子達は慄えている。それに年寄のお前一人
平気でおいでだ。分かるように言ってお聞せ。
闇の女
それは誰でも、長い間、いろいろな幸福を享けて、
跡で顧みると、どんな神の恵も夢かと思われます。
あなたなんぞは格外な恵を受けておいでになる。
生涯お逢になった男は、どんな大胆な、思い切った
事をでも、すぐするように、恋い焦がれた人ばかりで、
最初からあのテセウスの様な、立派な姿の、しかも
ヘラクレスに負けぬ力の男が、言い寄りましたね。
ヘレネ
そう。まだ十歳の、
アフィドノスの城へ連れて行かれたっけね。
闇の女
それから
救い出されて、
ヘレネ
だけれど、打ち明けて云えば、アヒルレウスそのままの
パトロクロス様が誰よりも内々
闇の女
それを父上の思召で、あの大胆な航海者で、また
内をも善く治めるメネラスにお
ヘレネ
娘をお
その
闇の女
ところが遺されたクレタ島を大胆に争おうとする
遠征の留守に、余り美し過ぎた客が来られた。
ヘレネ
それはあの時後家同様であった上、そのために
どれだけの禍を受けたやら。思い出させて貰うまい。
闇の女
自由に生れた、クレタ人のこの婆々が、
せられたのも、あの戦役のお蔭であった。
ヘレネ
それでも
城をも、切角の戦利品をも、お
闇の女
それはあなたが棄て置いて、塔で囲んだイリオスの
都と、そこの歓楽とに、引かれておいでなされたから。
ヘレネ
歓楽なぞとお
際限のない苦労が注ぎ込まれたではないか。
闇の女
それでも世間の噂には、あなたは分身の術で、
イリオスにも、エジプトにもおられたとか。
ヘレネ
物狂おしい心の迷を入り乱れさせてくれるな。
今でさえどれが自分か分からずにいるものを。
闇の女
そればかりか、運命のあらゆる
早い恋をしたアヒルレウスも、
出て来て、お傍に慕い寄ったとか聞きましたが。
ヘレネ
あの
物にも書いてある
ああ。わたくしはもう消えて、このまま影になりそうだ。
(合唱の群の一半に倒れ掛かる。)
合唱の群
お
厭な
歯が一本しかない、その口から、
そんな恐ろしい禍の
ろくな事は出はしない。
羊の毛皮を著た狼の怒は、
首の三つある
わたしには猶恐ろしい。
そんな悪い
狙っていた勢が、いつ、どこで、
どうはじけて出るのかと、わたくし共は
おず(おずして聞いています。
優しい、十分
憂き事を忘れさせる、軟い、恵ある詞の
過ぎ去った、総ての事の中から、
善い事よりは悪い事をと、引き出して来て、
今の光を
打ち消すと同時に、
ほのかに赫く未来の
お前さん、曇らせてしまいますね。
お黙よ、お黙よ。
もうお体から立ち離れそうにしている
お后様の魂を
お
日の照した姿の中で、一番美しい
あのお姿をそのままお
(ヘレネ恢復してまた群の中央に立つ。)
闇の女
きょうの日の太陽も、浮雲の間から出て貰おう。
お前は恵ある目で、世界がお前の前に展開しているのを見ておくれ。
皆はわたしを醜いと云って嘲っても、わたしはこれでも美と云うものを見分けている。
ヘレネ
こんなに疲れている体を、暫くはまた休めていたいが、
突然どれ程意外な事に出合うまでも、男らしく心を持って、気を取り直すのが、
后の役目で、また人皆の役目であろう。
闇の女
その厳めしさと美しさとを取り帰して、我々の前にお
あなたのお目を見ますると、何かお指図がありそうな。何のお指図か。さあ、仰ゃって。
ヘレネ
お前達、無益な争に暇を潰した
王様のお申付なされた生贄を、急いで用意させておいで。
闇の女
鉢に五徳に鋭い
御殿に用意してあります。何を生贄になさいます。
ヘレネ
それは王様が仰ゃらぬ。
闇の女
仰ゃいませんか。お笑止な。
ヘレネ
何をそう気の毒がるのか。
闇の女
その生贄はあなた様。
ヘレネ
そんならこの身か。
闇の女
それとこの
合唱の群
まあ、どうしよう。
闇の女
鉞でお切られなさるのです。
ヘレネ
気味の悪い。もしやそうかと思っていた。
闇の女
どうも
合唱の群
まあ。そしてわたくし共は。
闇の女
御主人は上品なお
だがお前方はあの屋根の
(ヘレネと合唱の群とは、兼て工夫せられたる、立派なる排列をなし、驚き呆れる様にて立ちゐる。)
闇の女
幽霊共。
驚いて、
人間もお前方と同じ幽霊だが、美しい日の光に、
すなおには暇乞をしともながる。それでも誰一人引き受けて
頼んで最期を緩めて遣り、救って遣るものはない。
人間は皆それを知っている。そのくせ覚悟の
兎に角お前方は助からぬ。どりゃ、
(フォルキアデス手を打ち鳴らす。それを合図に、戸口に覆面したる侏儒等現れ、以下のフォルキアデスの命令を、一々即時に執行す。)
お前達、陰気な、
気味の悪い黒血の
首と胴とは離れるのだが、兎に角立派に
葬ってだけは貰うはずの生贄殿が、
お后はお后らしく膝をお
この五味の上へ、立派に毛氈を布いて置け。
先導の女
お后様は物思に沈んで、片脇に立っておいでになる。
女中達は刈られた牧の草のように萎れている。
女中仲間の年上の、神聖な義務ですから、
この連中は向う見ずに、お前を見損って逆ったが、
お前は賢くて、経験もおありだし、好意も持ってお出のようだ。
どうにか助かる道があるなら言って聞せて下さいな。
闇の女
それは言うのは優しいよ。御自分がお助かりなされ、
御決心が、火急な御決心がなくてはならない。
合唱の群
糸を繰るパルチェエの中の一番貴いあなた、一番賢い
金の
踊の時になってから跳ねて、その跡で可哀い
人の傍で休息したい、わたくし共の手足が、
もう気味悪く、ぶらぶら吊るし上げられて、浮いているように見えますから。
ヘレネ
あれ等には、まあ、臆病がらせてお
それでも助かる道があるとお
賢い、眼界の広い人には、随分度々不可能だと
思われる事も可能になるものだ。さあ、それをお
合唱の群
さあ、仰ゃい。早く仰ゃい。飛んだ頸飾で、この頸に
巻き附きそうに威している、厭な、気味の悪いを、
どうしたられられましょう。あらゆる神様達の中の
貴い母神様、レア様が、
掛かる時の事が、もう息が切れ、息が
闇の女
話の長い筋道を、黙って聞いているだけの我慢が、
お前方、お出来かい。色々なわけがあるからね。
合唱の群
我慢が出来ますとも。聞く間は命があります。
闇の女
一体誰でも内にいて、宝の番をしたり、御殿の
壁の割目を繕ったり、雨の漏らぬように屋根を
直したりしているものには、生涯運が向いて来る。
それと違って家の閾の神聖な一筋を、軽はずみに
馬鹿にして、うかうかとした
出て行ったものは、帰って来た時、元の場所が
なくなってはいないでも、何もかも変っているか、
事に依ったら、こわれているのを見るでしょう。
ヘレネ
なぜお前そんな知れ切っている
話をおしのはずじゃないか。喧嘩の種をお
闇の女
事実の話をするのです。非難なぞはしません。
メネラス王は海賊の
島や岸辺をどこでも戦って行かれる。そして
持って帰られた宝は、御殿の中に寝かしてある。
イリオスの攻撃には長の十年も費された。
凱旋の道中は何年掛かったやら、わたしも知らぬ。兎に角
現にチンダレオスのこの御殿の場所は
どうなっていると思われる。それに
ヘレネ
さてもさてもお前は悪口が癖になって、
小言でなくては口が利けなくなっているのかえ。
闇の女
葦の茂った岸を洗って、
浮ばせて、広々とここの谷合を流れている、あの
オイロタス川が早瀬になって落ちる
タイゲトスの山を背に負って、スパルタの背後を
北へ登って行く、この谷山には久しく住む人も
なかったのに、キムメリオイの闇から出て来て、
谷の奥深く、こっそり
あって、
その界隈の土地をも民をも、勝手に
ヘレネ
好くそんな事が出来たものね。不思議なようだが。
闇の女
それには時が掛かったのです。二十年位前からでしょう。
ヘレネ
闇の女
賊ではありません。しかし
所へも遣っては来たが、悪口は言いたくない。何でも
取れば取られるのに、自由な
課税ではないと云って、少し取って帰って行った。
ヘレネ
どんな男かえ。
闇の女
悪くはありません。わたしには
気に入った。
類のない、教育のある、物分かりの
あの種族を野蛮だと云うが、中で誰一人残酷な
事をしたとは思われぬ。イリオス攻撃の時には、
こっちの英雄達も大ぶ人肉を食ったではないか。
わたしはあの男の大人物な処に目を附ける。
しても好さそうだ。それに砦が立派だ。御自分の
目でお見なさるが
ただ何と云う事もなく、一つ目のキクロオプスの
倒し掛けて、積み上げた石垣とは違う。あっちでは
何もかも鉛直に、水平に、規則正しく遣ってある。
外から見なさるが
登ろうと云っても、その登ろうと云う考からして
滑り落ちる。中には大きな御殿の
あらゆる種類の、あらゆる用に立つ建物が
それを取り巻いている。大小の柱、大小の
出入の廊下が見える。それに紋が所々に
附いている。
合唱の群
紋とは。
闇の女
お前方も見たはずだが、アイアスの
楯の上にも巻き附き合った蛇が附いていた。
テエバイを囲んだ七人も、一人々々その楯に
意味の深い
月や星もあった。女神もあった。軍人も、
威しに使う種々の物を、
わたしの話す勇士の群も、先祖から伝わった、
そう云う紋を、美しく彩って附けているのだ。
獅子や、鷲や、鳥の爪だの、
鳥の羽も、孔雀の尾も、種々の獣の角もある。
青、赤、黒や、金、銀の筋を引いたのも見られる。
世界程ある、際限もなく広い座敷々々に、
そう云う紋の附いた楯が沢山並べて懸けてある。
お前方には
合唱の群
そして踊る殿方は。
闇の女
この上もないのがいる。
皆青春の薫がする。土地の人ではお后に余り近く寄った時、
あのパリスだけその薫がした。
ヘレネ
お前は
言い出したね。そして詰まりどうしようと云うの。
闇の女
それはあなたのお詞次第です。真面目にはっきり
合唱の群
どうぞ
ヘレネ
そう。あのメネラス王がわたくしの体に害を
お
闇の女
あの
望を遂げたデイフォボスに、奮闘して死んだ
パリスの
お
附けられた。目も当てられぬ残虐をせられた。
ヘレネ
それは男にせられたのだ。わたくしゆえに。
闇の女
その男ゆえ、あなたにも同じ事をなさるでしょう。
美人は共有にはならぬ。それを専有していた人は、
誰とももあいにせぬように、寧打ち砕いてしまう。
(遠くより
あの喇叭の響が、耳をも臓腑をも、引き裂くと同じように、
昔し持っていて、それを無くして、今持っていぬ物を、
永く忘れぬ男の胸には、嫉妬がしっかりと
爪を打ち込んで放さぬものだ。
合唱の群
あれ。あの
闇の女
王様いつでもお著なされい。相違なく何事もわたしが好んで申し上げる。
合唱の群
そしてわたし達は。
闇の女
分かり切っている。お后の死は目の前に見えている。
お前方の死もその中に含まれている。いや。どうもお前方の助かりようはない。
(間。)
ヘレネ
あの、思い切って差当り、わたくしのせねばならぬ
事を考えた。お前は仇なす
分かっている。
だけれどその砦へだけはお前に附いて行こう。
その外は心得ている。胸の奥に、ひそやかに后が
隠している事は、誰にも分からせずに置く
事としよう。さあ、婆々、案内をおし。
合唱の群
まあ、どんなにか喜んで、足早に
わたくし共はまいりましょう。
死をば
そば立つ砦の
越すこと出来ぬ
末には遂に
恥知らずの
一度はお后様をお
城のように、その砦がまたお護申してくれれば
(霧ひろごりて、遠景を
おや、おや、まあ。
皆さん。振り返って御覧なさい。
今まで
それにオイロタ川の尊い流から、
帯のように霧がゆらめき升って来ます。
葦の緑で飾られた、
美しい岸がもう見えないのね。
楽しげに睦じく泳いでいた、
優しいように、
軽げに滑っていた、あの
まあ、もうわたしの目に見えなくなったわ。
でも、おや、
あれの鳴くのが、わたしには聞えてよ。
人が死を知らせるのだと云う、
約束
滅びるのだと云うことを、とうとう
あれがわたし達に知らせるのでなければ好いが。
その鵠に似た、長い、美しい、白い頸をした
わたし達と一しょに、あの鵠のお
お后様もお滅びなさるのだと云うことを。
まあ、気になること、気になること。
もう
残らず霧に包まれてしまった。
お互に顔も見えないじゃないか。
何をしているのでしょう。歩いているのでしょうか。
ちょこちょこ歩きに、地の上を
浮いて走っているようですね。
なんにも見えなくって。
ヘルメス様が先に立っておいでなさりはしないの。
厭な、
一ぱいいる、籠み合っていて、いつまでも
地獄へ連れ戻そうと、
おや、急に暗くなったわ。濃い鼠色な、壁のように茶色な
霧が光を見せずに立って逃げて、
中庭だろうか。深い
気味の悪い所だわ。皆さん。わたし達は捕虜になってよ。
これまでにない、ひどい捕虜になってよ。
(中世式の空想的なる、複雑なる建物に
先導の女
気早で
目先の事に支配せられ、幸不幸や、天気模様に
事が出来ぬ。仲間同士でお互に、はしたなく
悲しいと、同じ調子に泣いては笑う。まあ、お
お后様がこの場合に、気高いお心から、御自身のため、
お前さん方のために、どうお
ヘレネ
こりゃ。
云うか知らぬが、暗いこの砦の穴の中から出ておいで。
もしや、その不思議な首領に、この身の来たのを告げて、
優しく迎える用意をさせに行ったのなら
そのお
わたくしはもう休みたい。
先導の女
お后様。どこを御覧になっても駄目でございます。
どうした事か、霧の中からここへ来ました、その霧の
中にでも
丁寧にお
多くの物をただ一つに、不思議に合せたような砦の
遊ばせ。あちらの
大勢の
歩き廻っておりまする。鄭重にお客様を
歓迎いたす
合唱の群
ああ。胸が
年の若い、可哀らしい男の群が、行儀好く、
来ますのね。どうしたのでしょう。あの若者の立派な
群は、誰の指図で、こんなに早くお支度をして、
行列を作って出て来ましたのでしょう。何が一番
感心だと申しましょうか。可哀らしい
白い額を囲んでいる、波を打った髪の毛か。
丁度桃のように赤くって、そして柔い毛の
生えている、あの両方の頬っぺたか。あれに
食い附いて遣りたいわ。だが、丁度そんな事をして、
言うのも厭なこと、口が一ぱい灰になったのに
懲りているから、気味が悪くて出来ないわ。
だが一番美しいのが
前へ出て来ますね。
持っているのはなんでしょう。
戸張やら、
天蓋のような飾やら。
あれ、もうお后様が迎えられて、美しい
お茵にお
お
雲の飾をお
天蓋がゆらゆらしている。
さあ、お
一段一段に
真面目に並ぶのですよ。
お立派、お立派、も一つお立派ね。
こんな歓迎なら、祝福しなくては。
(合唱の群の
児童と青年と、長き列をなして降りたる後、ファウスト中世騎士の宮中服を著け、階段の上に現れ、品好く徐に歩み降る。
先導の女
(念を入れてファウストを見る。)
あの感心してお
愛想の
神様達があのお
なされたのでないなら、男同士の戦争も、美しい
女を相手の
何一つ成功しないと云うことはありますまい。
やはり誉められておいでなさる殿方を、この目で沢山
見ましたが、どの方よりもこのお方がお立派です。
徐かな、真面目な、十分敬意をお表しなされた
ファウスト
(
この場合にふさわしい、鄭重な御挨拶、尊敬を尽した
歓迎の
果させずにしまいました、この不埒な家隷を
鎖に繋いで、あなたの前へ引いて来ました。
さあ、
奥方。これは珍らしい、遠目の利く男ですから、
高い望楼の上で、
そこにいて、高い
どう云うものが通るとか云うことを、それが
牧畜の群であろうが、また軍隊であろうが、
見逃してはならぬのです。そして人民なら
保護し、敵兵なら打ち散らします。それが
なんと云う
それをこの男は知らずにいる。これ程の貴い
お客を、義務として鄭重にお
出来なくなる。横著で一命を失った男ですから、
もう
なさるとも、お
ヘレネ
どうもお察し申す所が、わたくしをお
思召かと存じますが、指図をさせる、裁判を
させると仰ゃるのは、まあ大した権力をこの身に
お貸なさいますことね。さようなら裁判官の
第一の
望楼
膝を衝かせて下さい。拝ませて下さい。
死なせて下さい。生きさせて下さい。
神のお授けなされたこの貴婦人に、
わたくしはもう身を委ねています。
朝の
東の
不思議にも突然
日が南から
谷を見ず、岡を見ず、
天地の遠い境を見ず、
わたくしは無二のお姿を拝もうと、
その方ばかり見ていました。
リンクスと云う獣が高い木の上にいるような
眼力をわたくしは授かっていましたのに、
今は深い眠の暗い夢を醒まして見ようと
骨を折るような気がして来ました。
どうにも見当が附かなくなりました。
霧が立つ。霧が消える。
こんな
目と胸とをお姿の
優しい光を吸い込みました。
この目をすっかりおくらましなさいました。
わたくしは番人の
吹かねばならぬ角の笛をすっかり忘れました。
思召
お美しさがあらゆる怒をなだめてしまいます。
ヘレネ
わたくしの身から起った罪を、わたくしが罰することは
出来ません。まあ、どうしよう。あらゆる男の心を
惑わして、その身をも、どんな大切な物をも護って
いられぬようにするとは、なんと云う残酷な運が
わたくしに附き
英雄や、悪魔までが、今
堕落させ、果し合い、あちこちへ
どことなく引き廻して歩かせ、一度ならず、
二度も、三度も、四度までも世を乱し、禍の数々を
起させるようになるとは。どうぞその善い
あちらへ連れて行って、解放してお
神に欺かれた人に恥辱は与えられませぬ。
ファウスト
わたくしはこの場で、善くお
申すと同時に、射中てられたものを見て、驚く外
ありませぬ。弦を離れた矢がこの男を傷けた、その弓を
わたくしに中ります。この砦や
著けた矢が風を切って飛んでいます。これでは
どうなるでしょう。どんな忠義な家隷をも、あなたが
突然叛かせておしまいになる。城は危くなります。
どうやら
なることのないあなたに、もう服従しそうです。
これではわたくしは総ての物を捧げて、迷った
臣下を引き連れて、あなたに降る外ありません。
この砦にお
物もお手にお
おみ足の
望楼守(手に箱を持ち、同じく箱を担へる男等を随へて登場。)
お后様。また御前に戻って参りました。
下さるようにと、おねだり申した金持も、
あなたにお
貧しさと、王侯の
わたくしは今までなんでしたか、そして今は
なんでしょう。何を思って好いやら、して好いやら。
目がどれ程鋭くたって、それがなんになりましょう。
御前からは、その稲妻も挑ね反されます。
わたくし共は東から遣って来ました。
それは西の国の災難でした。
その
長い、幅の広い
三人目の槍が役に立つ。
殺された千人は気に留めませむ。
一人々々百倍強くなっています。
押し合って進んでまいりました。
その場所々々を我物にしてまいりました。
しかしきょうわたくしが厳しい指図をする土地で、
あすは他人が
わたくし共は見廻しました。忙しい見ようです。
一番美しい女を撈うものもある。
足の丈夫な牡牛を盗むものもある。
馬は残らず取って来ました。
わたくしだけは、まだ人の見たことのない、
一番珍しい品物を捜しました。
外で人が持っているような物は、
わたくしは枯草同様に思いました。
どんな嚢の中も見え、
どんな
見る方へ附いて行って、
宝をわたくしは捜し当てました。
そして金を
しかし一番美しいのが宝石です。
あなたのお胸に青く照るには、
中で緑柱玉が宜しゅうございましょう。
海の底から出た一滴の卵形の真珠を、
お耳とお口との間にゆら附かせましょう。
お
お気に召さぬかも知れません。
そう云う稀な宝の限を、わたくしは
ここで御前へ持って出ます。
幾度かの
おみ足の下へ供えるのでございます。
こんなに沢山箱の数を持ち出しましたが、
鉄の箱はまだこれより多うございます。
あなたにお
お
あなたがお座にお
智でも、富でも、勢でも、
もう
これは皆わたくしが我物にして、大事に護っていましたが、
それが離れてお手許へ参ります。
貴く、珍しく、結構な物だと存じましたのが、
もうなんでもなくなって見えまする。
これまで持っていた物が消え失せて、
刈られて枯れた草のようになりました。
どうぞ晴れやかなお目で
元の価のあるものになさって下さいまし。
ファウスト
それはお前が大胆に働いて儲けた重荷だが、
そっちへ
戴かれぬ。もうこの砦の懐にあるだけの物は、皆この
お
あっちへ行って、宝のあるだけを、順序好く
積み上げて、ついに見られぬ
拵えろ。蔵の円天井を晴れた空のように
生きていぬ物の生活の天国を造れ。そして
お
花模様の絨段を敷き続いで行って、
柔い床がおみ足に障るように、この
お
此上のない
望楼守
殿様のお
家隷がする段になると、遊半分に出来る。
あのお美しい
性命財産が支配せられているのだから。
もう全軍がおとなしくなって、
刃が皆鈍って来た。
あのお美しい姿の前では、
日の光も濁って冷えて来る。
目で拝むものが豊かなので、その外の物は
何もかも
(退場。)
ヘレネ(ファウストに。)
わたくしお
おいで下さいまし。あいた場所がお
そうして下さると、わたくしの地位も固まりましょう。
ファウスト
先ず
お
そのお手に、接吻をおさせ下さい。わたくしを
境界の知れぬお国の共治者としてお
またあなたのために、崇拝者と従者と番人とを
一人で兼ねているものだとお
ヘレネ
わたくしは色々な不思議を
いますのでございます。そして伺いたい事が沢山
ございます。それはそうと、只今の男の詞が
奇妙で、そして優しく聞えるのはなぜでございましょう。
それを最初にお
声と声とが譲り合って、詞が一つ耳に入ると、
次に
ファウスト
臣下の物の
歌をお
耳をも心をも底から楽ませる歌ですよ。
しかし
ヘレネ
あんなに美しく話されましょう、どうしたら。
ファウスト
やさしい事です。ただ
そしてもし胸に
顧みて問います、
ヘレネ
共に享けると。
ファウスト
そこで心の見る所は、過去未来の縁を絶ち、
現在ばかりがなんでしょう。
ヘレネ
それが世の
ファウスト
さよう。宝です。利益です。財産、手形です。さて
奥書は誰がしましょう。
ヘレネ
それはこの
合唱の群
砦の
お優しくなさりょうとも、
誰が御無理と存じましょう。
皆さん打ち明けて仰ゃい。
あのイリオスが恥かしい滅びようをして、
わたくし共が恐れ歎いて、迷路を
辿りはじめてから、度々なって
いたように、身は今も捕虜になっています。
男に可哀がられ附けている女と云うものは、
男を味って見る目がありますわ。
ですから、
どうかして遣って来た、黒い、
ファウヌスにでも、時と場合で、
ふっくりした、こっちの手足を
すっかり自由にさせて遣るものですわ。
お
軟かい物を詰めた、お立派な
お椅子の上で、
もうお肩とお肩、お膝とお膝が障るように、
互におもたれ掛かりなすって、
お手をお
どんな内証のお
お
みんなの目の前で
思い切ってお見せ附け遊ばすのね。
ヘレネ
わたくしは自分がひどく遠くにいるようにも、ひどく近くにいるようにも
思われますが、それでも「ここにいます、ここに」と
ファウスト
わたくしは息が出来ない位で、体は慄えて、詞は
時も所も消えてしまって、夢ではないかと思っています。
ヘレネ
わたくしは色香が
自分が糸で、知らないあなたと、離れぬように織り交ぜられたような気がしますわ。
ファウスト
またとないこの
存在は義務だ。それが刹那の
闇の女
(
恋のいろはのお稽古を、たんとなさるが
ふざけながら、恋の理窟を御研究なさるが
理窟を
だがもうそんな暇はありませんよ。
天気模様の変ったのに気が附かぬのですか。
せめてあの
災難はもう遠くはない。
メネラス王が大軍を起して、
お前方を責めに来るのだ。
手痛い
その女を手に入れた
今に勝ち誇った兵卒共に取巻かれて、
あのデイフォボスのように切りさいなまれる。
跡にはすぐにその女を、
研ぎ澄ました
ファウスト
不遠慮な邪魔が、うるさく押し掛けて来おる。
非常な事にでも、無意味な
どんな美しい使者をでも、悪い
それにお前は一番醜い女で、悪い便ばかりを好んで
持って来おる。しかしこん度はお前無駄をした。
お前は
危険があろう。あってもそれは
(信号喇叭、塔の上にての爆音、種々の金笛吹奏、軍楽、大軍の行進通過。)
いや。すぐにここへ、好く一致した勇士の群を
呼び集めて、あなたに見せます。
婦人を堅固に保護することの出来る男でなくては、
婦人に愛して貰う権利はない。
お前方、北方の青春の花。
お前方、東方の華やかな武力。
お前方に勝利を得させるに
久しく抑えた、静かな
これまで国々を破った、
鋼鉄に身を堅めて、鋼鉄の中を抜けて来た人々。
お前方が歩き出すと、大地が震う。
お前方が歩いて行った跡には
ピロスから己達は上陸した。
老将ネストルはもういなかった。
拘束するに及ばぬこの
幾多の小王国を打ち破って通った。
さあ、すぐにこの城壁の下から、
メネラス王を海へ押し戻せ。
海上をさまよい歩いて、
それが王の
隊長達。己がお前方に会釈する。
お前方を指揮するのはスパルタの后だ。
山や谷を略取して后のお前に献じてくれ。
国内の所得はお前方の所得にする。
ゲルマアネの
お前は堡塁に
百の谷があると云うアハイアは、
ゴオテの勇士、お前に防がせる。
フランケの自由な
ザックセの土着の兵にメッセネは任せる。
アルゴリスの港を手広に経営しろ。
さて
力を展べ威を赫かすことが出来よう。
しかしスパルタは后の年来の居城だから、
お前方の領地の上に据えて置く。
何不足のない国々で、
后は
許可や権利や光栄を、安じてお前方は
后のお膝下へ受けに出ることが出来るのだ。
(ファウスト座を降る。諸将囲繞して、詳細なる指揮命令を受く。)
合唱の群
一番美しいものを手にお
何より武勇を
兵器を調えてお
この世で一番優れたものを、いかにも旨く
取り入って手にお
落ち著いてそれを持っておいでなさることは出来ません。
横著者がずるずると
盗人が大胆に奪って行くこともあります。
その御用心をなさらなくてはなりません。
ちょっと合図をなさると、強い人達が
寄って来てお指図を聴くように、
こんなに勇ましく、賢く、人を手懐けて
お
皆さんはお指図
そうしたら、御自分のお為にもなって、
殿様も御満足に思召しましょう。
御名誉はどちらにもおありになりましょう。
なぜと申しますと、こんなお強い持主の物を
誰が横取をいたすことが出来ましょう。
お后はあなたの物です。そういたして上げたく存じます。
わたくし共と一しょに、内は堅固な城壁で守り、
外は強い軍隊で護って下さるから、
ファウスト
誰にも豊かな国を遣るのだから、
この人々に約束した褒美は
立派なものだ。もうそれぞれ立たせよう。
己達は真ん中にいて守っている。
エウロッパの山脈の端に、狭い丘陵の
帯で繋がっている半島よ。あの人々は競って、
八方から波の打ち寄せる所で、
お前を守っていてくれるのだ。
早くから后を仰ぎ見ていたこの国は、
あらゆる国を照らす日の下で、
今后の領地になって、どの人種の
いる所も、永遠に幸福を享けるが
エウロタ川の葦の
卵の殻を
貴い母や兄弟を
后は思われるが
あなたの方にばかり向いて、この国は
栄の限を見せています。
世界中があなたの物になっていても、
取り分けて本国をお愛しなさい。
山々の
背に受けてこらえていても、
もう岩々がどこやら緑掛かった色を見せて、
山羊が意地きたなく貧しい餌をっている。
泉は涌く。小川は集まって流れ落ちる。
もう谷や半腹や平地が青くなって来る。
地面が断続して、百の岡をなしている上を、
叢雲が広がって渡るのを御覧なさい。
角のある牛が分かれ分かれに、
断崖をさして歩いて行く。
しかし岩壁が
どの獣の宿をもすることが出来る。
それをあそこでパンの神が護っている。
そして茂った谷の濡れて爽かな所に、
高みにあこがれて枝を
ここは古い林だ。の木は強く立って、
剛情らしく枝と枝とを交えている。
甘い汁を孕んだ、優しい
枝葉の重荷を弄んでいる。
静かな木蔭には、母親らしく、
平地の人の食料になる、熟した果も遠くはない。
そして切り込んだ木の幹からは蜜が滴る。
ここでは健康が遺伝する。
頬も脣も晴やかになる。
人が皆その
皆満足して健かでいる。
そこで優しい子が浄い日に育って、
人の父たる力を
わたし共は見て驚いて、
いつまでも人か神かの問を決し兼ねる。
それだからアポルロンは牧者の姿でいた。
牧者の美しいのがあれに似ていた。
なぜと云うに、自然が浄い境を領していると、
あらゆる世界と世界とが交感する。
(ヘレネの傍に坐す。)
こんな風にわたしは成功した、あなたも成功した。
もう過去なんぞは背後へ投げ棄てましょう。
第一の世界に属しているのは、あなただけだから、
最高の神の生ませたものだとお感じなさい。
堅固な砦があなたを閉じ籠めもしない。
スパルタに隣るアルカジアが、永遠の若さで、
わたし共二人を引き留めていもしない。
祝福のある土地に住むように
あなたは一番晴やかな運命の中に逃げ込まれた。
王者の座がそのまま生きた
アルカジアめく幸福を二人は享けましょう。